2020年4月7日火曜日

精神と魂と身体(3)





プロローグ:デカルト(2)

しかし精神の現代的概念は、当然のことながらデカルトの二元論に対する反応として理解できる
一方で、フッサールの現象学においてはポジティブな反応、メルロー・ポンティになると多少とも批判的反応である
他方、精神分析(ラカン)、心理学の哲学(ウィトゲンシュタイン)、こころの哲学では多様な批判的反応がある
主体の哲学の検討では、特に現代フランスの哲学者において明確な敵意ある態度が認められる
フーコードゥルーズデリダたちである


デカルトの二元論は二つの世界があると考える
一つは自然科学が研究する物理的世界で、もう一つは公の観察ではアクセスできない、私的な精神世界である
二つの世界は、物理科学によって研究される因果律に還元されないやり方で相互作用する

以下がアンソニー・ケニーが言っていることである
デカルトは並外れた能力を持つ天才であった。彼の主要な考えは、郵便はがきの裏に書けるような簡潔さで表現できる。しかしそれは、非常に革命的であるので数世紀に亘る哲学の流れを変えてしまったのである。もしデカルトの主要な考えを郵便はがきの裏に書きたいとすれば、二つの文章しか必要でない。人間は考えるものである、そして物質は動いている延長である。
人間は考えるものであるという最初の主張は正確だろうか
それは「こころの哲学」と呼ばれる領域において、多くの現代哲学者が探しているこの問いに対する回答である










5 件のコメント:

  1. デカルトは、方法序説のなかで、ヒトはどんなバカでも文法を使える、動物はどんなに賢くても文法を使えない。よって動物には理性がないといいます。彼はヒトが動物であることを、失念しているために、誤った結論を導きました

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  2. 問題は、デカルトのこの誤りを、誰も訂正てきていないことです。

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  3. コメントありがとうございます。デカルトの動物を機械として見る考え方は科学を進歩させた功績はあると思いますが、生物学の進歩と共に否定する人が増えているのではないでしょうか。また、デカルトの二元論についても科学者は支持しないようですし、科学をベースにした哲学者の多くも支持していないという印象を持っていますが、いかがでしょうか。

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  4. 明確な否定は、行われていないのではと思います。また、西欧キリスト教社会で物心がつくと、二元論が根幹にまで染み込んでいて、拭い去れないのではないでしょうか。二元論を否定した西欧の科学者はいますか?

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  5. 大半の科学者は一元論の側にいるというのがわたしの印象です。勿論、フランシス・コリンズのようにキリスト教信者の科学者もいますが、科学をやる時は別の枠組みにいて、二つの立場は矛盾しないというようなことを言っていたと思います。

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