2020年4月23日木曜日

精神と魂と身体(12)





性向と人間の魂(1)

二元論者も反二元論者も人間に心的状態と物理的状態があると見做し、両者が結ぶ関係について自問する
新アリストテレス主義の見方によれば、それが物理的なものであるかどうかは別にして、人間に性向が与えられる
性向は、ある条件(実行するための社会的なものも含む)と能力を前提としている

ポーランド語を話すためには、話す能力と、その言語を子供のころ家族の中で、あるいは後に学んだ能力が要求される
遊ぶ、話す、フルートを演奏する、哲学をやるなどの理性的な性向は、人間に特有のものである
性向とは特性である
しかし、何の?

理性的性向の場合(大学に行きたい、試験を受けたい、受かりたいなど)、それは人間であることの特性である
意図を持ち、欲し、望み、愛する人は一人の人間であり、その精神でも身体でもない
二元論者や反二元論者は、意図や欲求や感情を付与する際、カテゴリーの間違いを犯す
ただ一人の人間だけが意図や欲求や感情を持つことができるのである

心的現象を理解するとは、心的状態を記述することではない
そうではなく、社会的状況に置かれた人間が語り、することを解釈することである

「魂」という言葉に、不死性と直接結びつく宗教的意味合いを伴う精神と同じ意味を与えるという習慣があった
しかしアリストテレス主義者にとって、魂は身体の形である
それは丁度、家の形相がそれを作っているレンガやモルタルに構造を与えているのと同じ意味において
形相の存在がレンガやモルタルを家にするのであって、壁や窯ではない

アリストテレスにとって、レンガやモルタルは潜在的に家なのである
それらが家として適切な形を実現するまで
この場合、形相と材料が一緒になって家を現実に作っているのである

アリストテレスの言葉に肖れば、形相は家の現実性である
形相の存在が、なぜある特定の量の材料が他のものではなく家になるのかを説明している
同様に魂の存在が、なぜある材料が他のものとは区別される人間になるのかを説明している

人間の魂は、人間という特定の生物の特殊性を説明している
クリストフを鯉や猿ではなく人間にしている原因は、クリストフの現実性と分けて考えられないのである














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