付随性(Supervenience)
ドナルド・デイヴィドソンは現代のこころの哲学に最も多くのものを齎した哲学者の一人である
彼は心身関係の問題に対する解決を提案している
すべての心的出来事は物理的出来事であるとしても、心的領域と物理的領域を結ぶ厳密な法則はない
一つの(物理的な)ものしか存在しないが、個人XとYに対してできる物理的描写と心的描写は同じではない
この還元不可能性は、心的描写のために物理法則と同じ種類の法則を示すことができないということが原因である
「非法則的一元論」(anomalous monism)と呼ばれている
我々は2種類の相互に還元できない概念(物理的なものと心的なもの)を持っている
デイヴィドソンにとって、心的特性(痛みがある、愛している)は物理的特性に付随する
彼は次のように言っている
すべての物理的側面は似ているのに心的側面が異な二つの出来事はあり得ない。このような依存性あるいは付随性は、法則や定義を介する還元可能性を意味しない。もしそれを意味するとすれば、道徳的特性を描写特性に還元できることになる。非法則的一元論は心的概念の還元不可能性を保証する
それは「心的なもののホーリズム」の枠組みの中で理解されるべきものである
一つの信念、一つの欲求、一つの意図は、他の信念、他の欲求、他の意図に依存する
また、命題的態度は論理的関係を維持することを前提とする
それは命題について適用される心的態度で、と考える、ことを知る、を主張する、を望む、を欲するなどである
それが植物であり動物でないとXが信じているとすることなしに、それが花であるとXが信じていると私は思わない
我々は他者が信念や欲求や意図を持っていると思うのは、この合理性である
従って、個人の心理描写は我々が合理性の基準を用いていることを前提としている
(XはYを愛しているので、Xは花を買った)
我々が取る態度は、合理的でホーリスティックな(ネットワークを作る)構造を持っている
これらの合理性の基準により、我々は言語的で社会的な次元に入るが、それは物理学への還元を阻害する
従って、脳とそこで起こっている精神物理学的過程を完全に知ることは、心的なものを完全に知ることではない
デイヴィドソンは、心的なものの物理的なものへの還元性をアプリオリに認めないが、二元論に陥ることはない
心理的出来事の描写は物理的描写に随伴するが、物理的なものには還元されない
我々が人間の心理的態度を描写する概念に特異的に還元できない何かがある
これらの概念は、行動の解釈に不可欠な合理性や評価の基準と結び付いているのである
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