2020年4月12日日曜日

精神と魂と身体(7)




反二元論(4)

ある心的状態が痛みの心的状態であるために重要なことは、その物理的性質ではなく、それが果たす役割である
ここで厳密な意味での唯物論を離れる
なぜなら、心的過程は外形上のものだが、物質的なものではないからである

例えば痛みは、物理的傷害を検出する機能である
検出する役割を担うメカニズムは、その機能より重要ではない
しかし、機能主義行動主義ではない
行動主義は次のことを主張するものである
感覚、感情、信念、欲求、希望、願いなどについてのすべての言説は、観察できる行動に関する言説に「翻訳すること」ができる
従って、「Xは痛い」、「XはYを愛する」という陳述は、Xのある状況での行動様式に応じて解析されるべきである
しかし、行動だけを記述する陳述から心的状態を記述する言葉を排除できるかのは、全く不明である

それから、心的状態が因果関係を持たないのかについて問うこともできる
「Xは彼が愛する女性に贈りたいと思ったので花を買う」
行動の記述のために「花を贈りたい」という心的状態が削除された場合、どのように原因となる機能を持つのだろうか

機能主義は現実主義である
たとえ心的状態が物理的状態と同一ではなくとも、心的状態という現実を拒否しないのである
二元論が消去主義同一説機能主義行動主義によって一向に打ち負かされないとすれば、精神は生き長らえる

痛みに戻ってみよう
ある機能主義者にとって、痛みは傷害の検出の原因となる役割を担っている
感覚は、実際には現象に関わる質的な特徴を持っている
哲学者は「クオリア」と言ったりする

我々の生き生きとした生活は、クオリアの祝祭である
例えば、色、匂い、味、音、目覚めてからの多様な感覚
生き物の毛の柔らかさ、コーヒーの匂い、蜂蜜の味など

心的状態に割り当てられた機能的役割は、ある心的状態(クオリア)に在ることを感じさせる効果を説明しない
クオリアの逆転」の可能性を想像した哲学者がいた
赤いというわたしの経験は、あなたの緑の経験と全く同じかもしれない
つまり、あなたがグリンピースを見た時、わたしがトマトを見た時と同じ経験をするというものである

二つの色の機能的役割は同じということになる
クオリアの逆転にもかかわらず、我々は熟したトマトとそうでないトマトを選り分けることができるだろう
我々の経験は異なっているように見えるのである

どうしようもなく「精神に関わる」ように見えるのは、この質的で現象的な次元である 
確かに、還元不能な二つの実体が存在することを肯定する二元論から我々は遠いところにいる
しかし、物理的なもののために心的なものを排除して勝利した還元主義を擁護することはできない
還元主義はどのようにして我々の第一人称の心理的生活すなわち「クオリア」を説明するのだろうか










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