2018年7月10日火曜日
これからが見えてきた今回の滞在
2か月近くに及ぶ日本滞在であった
今回来る前にはまだ決めかねていたことがあった
しかし、それが見えるようになったのは大きな収穫と言えるだろう
頭の中で想像していたこととその場に身を置いてみた時に感じることの間には大きな差がある
今回それがいろいろなオプションを潰すのに役立った
もう一つは、全くの偶然が残ったオプションを後押しすることになった
当初、毎日のように考えが変わる日々が続いたが、最終的には一つのところに収斂していった
生活のスタイルに少しだけ変化をつけ、これまでより自由に動くことができればと考えている
どのようなことになるのか、暫くの間は様子を見ることになるだろう
常に変更可能な状態に開いておくのは、いつもの通りである
ところで、奈良で目に入った「玄」という字、好みの形にはなってない
この文字、老荘思想によれば、「時空を超越した天地万象の根源となるもの」だという
存在の根源にある「幽遠にして神秘的なもの」、「深遠な道理」を指しているとのこと
いずれの言葉もひと昔前には全く反応しなかったものだが、今では身近にある
時間が何かを変容させた結果なのだろう
勿論、その中身は未だ遥か彼方にしかないのだが、、
明日フランスに向かう
2018年7月9日月曜日
『ゲッベルスと私』 を観る
やっと精神的余裕が出てきたようだ
今日は先日のFPSSで紹介されていた映画『ゲッベルスと私』を観に朝から出かけた
いやはや暑い
会場に入るとほぼ8割の入りで、混んでいる
月曜の午前中のためか、ほとんどすべてがシニア
その中に入っているはずなのだが、どこか別世界を見るように感じていた
以下に映画の印象を思いつくまま
人生がその皺に刻まれた103歳の女性が、驚くほどしっかりと語る
ゲッベルスの秘書として働いていたという
原題は A German Life となっている
1936年あたりまではベルリンは素晴らしい街だったという
まだ外国人が来ていて、中には日本人らしき人もいたという
異質な人間に触れる悦びを感じたようだ
最初はユダヤ人の下で働いていたが、恋人の友人の紹介でナチスに入る
そして1942年に宣伝省での職を得る
ゲッベルスは上品で、常に自制心があり冷静だった(一度だけ怒鳴ったことはあったが)
しかし、大衆の前で演説する時には別人になり怒鳴り立てていた
彼ほどの役者はいないと見ている
ヒトラーもそうだが、彼の演説も理性ではなく感情に訴える
ロマンチックな考え方が批判される大きな理由はそこにあるのだろうか
個人的にはロマン主義的な傾向を全否定することはできないのだが、、
彼女は当時のことを振り返り、深く考えずに生きていた、浅はかで愚かだったという
義務を果たそうとして仕事をしていただけで、仕事の中身には関心がなかった
これは枠の中での考えとその外から見る視点を得ることができるのかという問題になるだろう
渦の中にいて流されていたので、色々な行動の理由を説明できないともいう
強制収容所という言葉は知っていたが、矯正するための施設くらいにしか思っていなかった
よもやあのようなことが行われていようとは想像もできなかった
国中がガラス製のドームの中にあり、国が隔離された収容所のようになっていた
また、国が平気でデータを改竄することも語られている
この世には神も正義も存在しない
美と醜、白と黒というように明確に分けることができないものがある
一色に染まっているものはないということだろう
今の人は、当時理性に適ったことができたのではないかと言う
しかし、それは絶対にできないと断言する
おそらく、そうだろう
それをするには命をかけなければならないからで、実際にそういう人達を見てきたという
枠の外からの思考とそれを支える強靭な意志がなければ難しいだろう
2018年春のISHEの活動のまとめ
昨日、春のISHEの活動のまとめを終えることができた
以下に紹介しておきたい
お気づきの点などありましたら、ご連絡いただければ幸いです
よろしくお願いいたします
● 6月2日(土) 第5回サイファイ・カフェSHE札幌
「最小の認識能をどこに見るのか」
● 6月8日(金) 第7回カフェフィロPAWL
「トルストイの『人生論』から生き方を考える」
● 6月9日(土)、16日(土) 第3回ベルクソン・カフェ
Pierre Hadot « Apprendre à dialoguer » 「対話することを学ぶ」
● 6月15日(金) 第13回サイファイ・カフェSHE
「『テアイテトス』に見るプラトンが考えた科学」
● 6月30日(土) 第3回サイファイ・フォーラムFPSS
「第2回サイファイ・フォーラムFPSS研究討論会」
2018年7月7日土曜日
仙台で人生を語る
今日は凌ぎやすい一日だった
研究者時代にお世話になった方と一献傾けるため、お昼に仙台に向かった
このところ、1年に一度の割合でお会いしている
東北の酒と魚で、いつものように話が弾んだ
沈んでいる意識を偶には発散させるのもよいのだろう
先日の奈良と東京を除き、このところほとんど経験したことがない二次会までついていた
ジャズを聴きながらバーボンなどという組み合わせは、大昔に経験した程度
お話を伺うと、東北最古のバーとのこと
なかなか良いピアノが流れていた
2018年7月6日金曜日
残りの纏めは僅か
今日は雨が降り、時に肌寒い天候であった
久しぶりのことである
街に出て、残っていた纏めをする
以前にも触れたが、今回は一気に終えてしまうという気分ではなかった
ゆっくり、味わいながら纏めようということだろう
それにしても、以前より「ゆっくり」のスピードが落ちていることは十分に考えられる
しかし、それでよいのではないかというところに落ち着いている
纏めは残り僅かになった
日本を離れる前に何とか終えたいところである
全てが終わった段階で、この場に掲載する予定である
2018年7月4日水曜日
異分野に入ったお陰か
このところ連日の真夏日で参っていたが、今日は曇りで比較的しのぎやすかった
とはいえ、少し歩くと汗びっしょりになり、歩くのも嫌になる
すぐにカフェに逃げ込む格好になった
さて、これは仕事を終えてから異分野に足を踏み入れたお陰になるのだろうか
それまでは接触しようのなかったような方と言葉を交わすことが増えている
意識はされていないが、それは自らの地平を広げるのに役立っている可能性がある
この状態が維持されて行けば、わたしの地平は限りなく広がる可能性があるかもしれない
今夜はそういう中のお一人との歓談となった
帰国の折に何らかの形でお話するようになって久しい
仕事は続けたい意向のようだが、哲学的思考にも興味をお持ちのようである
哲学には暇が必要だとお伝えしてはいるのだが、、
いずれにせよ、今日もこれからに繋がる貴重なお話を伺うことができた
近いうちに、新たな求道者との出会いの機会が訪れることを願いたいものである
今日はかつて日本にいた時のペースで飲んだのではないだろうか
学割を要求したのだが、これには無理があったようだ
ところで、歓談の場所に向かう時のこと
なぜか、駅から降りると全く逆の方向に確信をもって歩いていた
こういうことがあるのである
おかしいと気付いた時には、戻るのが嫌になるほどのところまで来ていた
再度カフェで休んで気を静めた
このところの食べ過ぎに対する罪悪感から歩いていこうとしたが、そうはならなかった
2018年7月1日日曜日
春のISHEの活動を終えて
昨日で今回のISHEの活動を終えることができた
残っているのは、その纏めをすることである
これまではすんなり纏めていたが、今回は少し様子が違うようである
すぐに纏められなくなっていて、時間がかかるようになっているのだ
それは、これからのための資料を作るような気持が出ているためなのか
あるいは単に、纏める作業に時間がかかるようになっただけなのか
疲れのためか、後者の可能性は十分に考えられる
と同時に、前者の可能性も否定できないかもしれない
いずれにせよ、これからの1週間でそれを終えたいものである
サイファイ研究所ISHEはバーチャルな研究所だが、活動の時にその形が現れる
その構造を支えているのは、目には見えない繋がりではないだろうか
そして、その背後には研究所のミッションがあるのだと思いたい
本研究所は今年で5年目を迎える
その年の春に、予想もしていなかった日仏文化交流の促進を実現できたのは幸いであった
訳書の出版とシンポジウムの開催である
これからも歩きながら考える研究所にしたいものである
今回の活動に参加いただいたすべての皆様に改めて感謝いたします
そして、今後の研究所の活動にご理解とご協力をよろしくお願いいたします
2018年6月30日土曜日
第3回サイファイ・フォーラムFPSS、終わる
暑いけれども緑の眩しいお昼時であった
午前中は恵比寿ガーデンプレイスのカフェで纏めをやっていた
苦労したが、何とか最初の纏めを終えることができた
午後からは日仏会館で第3回サイファイ・フォーラムFPSSが開催された
今回は応募があった3名が話題提供者となり、遊び、時間、マインドフルネスが議論された
多彩なテーマにもかかわらず活発な議論が行われ、時間が不足している印象を持った
前回は4名の発表でかなり窮屈だったので今回は3名とした
しかし今回の様子を見ると、発表者をさらに減らすことも考えなければならないかもしれない
と同時に、発表の内容をコンパクトにまとめることも求められるだろう
それと発表者が重なる傾向も出ているので、これからの課題となりそうである
今回もお忙しい週末の午後に本フォーラムにご参加いただき、ありがとうございました
詳細な報告は、近いうちに専用サイトに公表する予定です
ご参照いただければ幸いです
本活動にご理解、ご協力のほど、よろしくお願いいたします
2018年6月29日金曜日
これから連日の真夏日か
いやー、東京も異常気象である
今日は37℃だったとの噂を聞いたが、どうも本当ではなさそうだ
これからも連日30℃超えとのこと
慣れないと聞いただけで疲れが出てくる
因みにトゥールの予報を見てみた
明日と明後日が30℃超えで、それ以後は20℃台中ごろで推移するようだ
乾燥しているのでこちらよりは凌ぎやすそうだ
ところで明日、今回のISHEの最後の活動、第3回サイファイ・フォーラムFPSSがある
どのような議論が展開するのか予想もできないが、それがよいところと言える
この会も他の会同様、これからどのような歩みをするのか予想ができない
歩きながら模索することになるのだろう
2018年6月28日木曜日
奈良で旧交を温める
昨日、今日と本当に暑い
今日は風も強かった
人間の住む環境ではないのではないか、という気にもなってくる
明るいうちは残っていた纏めをする
ホテル近くのカフェと言うより喫茶店で
カウンターには近所の常連と思われる元気な中年女性が座り、お話をしている
相当大きな声なので、自然にその内容が聞こえてくる
政治談議が耳に入ってきた
政治家の品定めである
やはり、見かけがよくないと評価は低いようだ
暗い政治家の人気は思わしくない
最近の政治家は二世三世が多くなり、正義感のあるのがいなくなったと手厳しい
夕方から空が曇りはじめ、少し楽になってきた
夜は奈良まで足を延ばし、昔同じ領域で仕事をしていた仲間と歓談をする
昨年もお世話になったが、今年もお手を煩わせることになった
今回は思いがけなくも仙台からお客さんが参加され、賑やかな会となった
他の皆さんはすでに3次会?を終えてから来られたようであった
そのため、そのハイテンションにはついていけず、追いつくのに一苦労
最後まで一歩後を行くという感じだったのではないだろうか
しかし、いろいろな方との対話では、いつも触発されるものを感じる
興味深い会をセットアップされた渡邊氏に感謝したい
2018年6月26日火曜日
大阪で旧交を温める
本日は、大阪で古い友人と旧交を温めた
いつも関西に来るとお世話になっている
大阪大学の後も別の大学で仕事をされた後、この春やっと自由の身になられたとのこと
わたしであればお喜び申し上げるしかないのだが、そうではない見方もあるようだ
しかし、これから人生が始まると言ってもよいのではないだろうか
充実した時間を持たれることを願いたい
それにしても、今日は久しぶりにお酒が入り過ぎたようである
これまでのものと合わせて、早く疲れを取りたいものである
2018年6月23日土曜日
日仏科学セミナーとクリルスキー博士の講演会、終わる
開会の挨拶をされるクリルスキー教授
今日は午前中から新丸の内ビルの会場に行き、通訳との打ち合わせや登壇者との雑談をする
開場の午後1時半を過ぎると、知り合いの参加者も現れて言葉を交わす
また、サイファイ・カフェに参加されている方も4名ほど出席されていた
2時からクリルスキー教授の挨拶の後、日仏共同研究の発表が行われた
以前にも触れているが、中身が記号ばかりなので素人にはほとんど意味をなさない
念仏と同じように聞いていた
それから研究がどんどん大型になり、多くのデータを集めて解析するようになっている
データを集める過程はほとんど考えることがないのではないだろうか
そして、解析にしても人間が直接手を下せるところがどれだけあるのか分からない
研究がどんどん非人間化しているという印象を持った
内容の理解が不十分なので、どれだけ正確に現状を認識しているのかは定かではないのだが、
わたしが司会を担当したクリルスキーさんの講演も難しいものであった
そもそも分かりやすくしようなどというサービス精神はない
自分の思考をなぞるように話すので、概略でも掴んでいないと理解するのが大変である
幸い翻訳者として何度も著者の考えに親しんでいるのでついて行けたとは言うものの・・
ただ、講演後の質疑応答は活発で、個人的にはよいセッションになったと思っている
閉会の挨拶をされたフランス大使館の方が北里柴三郎とフランスの縁について話していた
その時、最前列に座っているご老人に向かって話していることに気付いた
終わってからお話を伺うと、北里柴三郎のお孫さんに当たるという
有難いことに、親しく言葉を交わさせていただいた
世界は狭いものである
懇親会でもいろいろな方と言葉を交わすことができた
昨秋にフランス大使館でこの企画を最初に話した時に担当された方とも会うことができた
二人の方がいたが、いずれも2年が経過する夏以降にはフランスに戻られるとのこと
また、久しぶりの出会いや記憶が呼び覚まされるような再会もあった
このような集まりで語り合うのも科学を文化にする上では重要になるだろう
逆に言えば、そのような認識の下に対話をしなければならないということになる
フランスからの参加者も積極的に発言されていた
そこでは結果だけではなく、その先に何が言えるのかまで視野に入るような話をしたいものである
今回の集まりは全体的に見ると成功だったと言ってよいのではないだろうか
このような会の運営には、財政面だけではなく大変な手間がかかるものである
主催されたパスツール財団の皆様のご尽力に心から感謝したい
そして、今回の翻訳を通して著者と人間的なつながりが生まれたように感じている
これは翻訳を始める前には予想していなかったことである
翻訳の過程でのやり取りが、ある種の化学反応を起こしたのかもしれない
これも対話というものが齎したのだろうか
どうもこのところ、何でも「対話」に持っていこうとするところがあるようだ
いずれにせよ、これで今週の大きなヤマを何とか越えることができた
来週も結構忙しそうである
明日はお休みだろうか
今日は午前中から新丸の内ビルの会場に行き、通訳との打ち合わせや登壇者との雑談をする
開場の午後1時半を過ぎると、知り合いの参加者も現れて言葉を交わす
また、サイファイ・カフェに参加されている方も4名ほど出席されていた
2時からクリルスキー教授の挨拶の後、日仏共同研究の発表が行われた
以前にも触れているが、中身が記号ばかりなので素人にはほとんど意味をなさない
念仏と同じように聞いていた
それから研究がどんどん大型になり、多くのデータを集めて解析するようになっている
データを集める過程はほとんど考えることがないのではないだろうか
そして、解析にしても人間が直接手を下せるところがどれだけあるのか分からない
研究がどんどん非人間化しているという印象を持った
内容の理解が不十分なので、どれだけ正確に現状を認識しているのかは定かではないのだが、
わたしが司会を担当したクリルスキーさんの講演も難しいものであった
そもそも分かりやすくしようなどというサービス精神はない
自分の思考をなぞるように話すので、概略でも掴んでいないと理解するのが大変である
幸い翻訳者として何度も著者の考えに親しんでいるのでついて行けたとは言うものの・・
ただ、講演後の質疑応答は活発で、個人的にはよいセッションになったと思っている
閉会の挨拶をされたフランス大使館の方が北里柴三郎とフランスの縁について話していた
その時、最前列に座っているご老人に向かって話していることに気付いた
終わってからお話を伺うと、北里柴三郎のお孫さんに当たるという
有難いことに、親しく言葉を交わさせていただいた
世界は狭いものである
懇親会でもいろいろな方と言葉を交わすことができた
昨秋にフランス大使館でこの企画を最初に話した時に担当された方とも会うことができた
二人の方がいたが、いずれも2年が経過する夏以降にはフランスに戻られるとのこと
また、久しぶりの出会いや記憶が呼び覚まされるような再会もあった
このような集まりで語り合うのも科学を文化にする上では重要になるだろう
逆に言えば、そのような認識の下に対話をしなければならないということになる
フランスからの参加者も積極的に発言されていた
そこでは結果だけではなく、その先に何が言えるのかまで視野に入るような話をしたいものである
今回の集まりは全体的に見ると成功だったと言ってよいのではないだろうか
このような会の運営には、財政面だけではなく大変な手間がかかるものである
主催されたパスツール財団の皆様のご尽力に心から感謝したい
そして、今回の翻訳を通して著者と人間的なつながりが生まれたように感じている
これは翻訳を始める前には予想していなかったことである
翻訳の過程でのやり取りが、ある種の化学反応を起こしたのかもしれない
これも対話というものが齎したのだろうか
どうもこのところ、何でも「対話」に持っていこうとするところがあるようだ
いずれにせよ、これで今週の大きなヤマを何とか越えることができた
来週も結構忙しそうである
明日はお休みだろうか
2018年6月22日金曜日
対話を前にした対話の夜
(左から)松田文彦、本庶 佑、フィリップ・クリルスキー、湊 長博、A・サクンタバイ、狩野繁之の諸先生
今夜は明日のシンポジウムで発表される方が集まったフォーマルなパーティがあった
ほぼ10年ぶりにお会いする方も少なくなく、久しぶりに興味深い話を伺うことができた
それから、これからに向けてのヒントやエネルギーも注入されたように感じている
心を開いた対話の重要性を改めて認識した一夜であった
明日の会が参加された皆様にとって何らかの刺激になるとすれば、幸いである
対話という視点から見れば、明日の会もまた対話の機会になるはずである
実は、その効果は終わってみなければ分からない
そして、その効果に気付くのがいつになるのかも分からないのだ
油断できないのである
今夜は明日のシンポジウムで発表される方が集まったフォーマルなパーティがあった
ほぼ10年ぶりにお会いする方も少なくなく、久しぶりに興味深い話を伺うことができた
それから、これからに向けてのヒントやエネルギーも注入されたように感じている
心を開いた対話の重要性を改めて認識した一夜であった
明日の会が参加された皆様にとって何らかの刺激になるとすれば、幸いである
対話という視点から見れば、明日の会もまた対話の機会になるはずである
実は、その効果は終わってみなければ分からない
そして、その効果に気付くのがいつになるのかも分からないのだ
油断できないのである
2018年6月21日木曜日
人間が生きている、かけがえのない時間
今日は曇天だったが、雨にはならなかった
午前中から外に出てこれからの準備をしようとするが、ままならないものである
お昼は銀座まで出て、古い友人とデジュネ
いつも気の利いたところを紹介していただく
それにしても、人生にはいろいろなことが起こるようである
お体には気を付けてお過ごし願いたい
午後は適当に時間をつぶす
近代的な街並みが空虚に感じられるようになって久しい
何か目新しい進んだ空間が生まれているように見えるが、中身が空っぽという感覚
これが人間の目指しているものなのかという感覚でもある
人間が生きているというよりは、その中で制御されながら生かされているという風景である
そして、夜は来日されたばかりのクリルスキーさんを囲んでインフォーマルな会があった
参加するように言われて顔を出す
いろいろ興味深いお話が出ていた
わたしは科学者ではなく、冗談だとは思うがフィロゾフ扱いになっていた
実際には、細かいことを指摘するので「プレシジョン・フィロゾフ」と綽名された
まず今回のことに絡めて、次は翻訳の哲学でもやってみてはどうかというような話が出ていた
それから、コレージュ・ド・フランスに関係する哲学者や法哲学者の話などが参考になった
いくつかの著作を含めた貴重な情報も紹介していただいた
博士にとってはお疲れだっただろうが、インフォーマル故のお話も多く聞くことができた
人間が生きている、かけがえのない時間となった
2018年6月20日水曜日
思わぬ展開の雨の午後
今日は朝から雨模様
今回のカフェのまとめをするために外に出た
しかし、なかなか捗らない
午後、場所を変える
まとめの作業はさっぱりだったが、想像もしなかったような展開が待っていた
ある本を読んでいる時、気になることが出ていたので早速問い合わせた
そうすると、すぐに返事が来た
役所だったので、その速さに驚く
それが、これからに向けての考えを固めるのを助けてくれたように感じた
その時である
それを後押しするようなメールが思いもよらないところから飛び込んできたのだ
海の向こうからである
こういうことがこの世で起こるのかというタイミングだったのだ
驚きの思いでそのメールを読んでいた
これはデジャヴュである
フランスに渡る前のある日に起こったことと同質のものではないだろうか
もう少し様子を見ることにしたい
2018年6月19日火曜日
人形町散策
今日は体調調整日になるのだろうか
午前中はこれまでのカフェのまとめをやる
できたのは一つだけ
午後から人形町を散策
殆ど地を這うようなペースで歩きながら、町を眺めていた
このペースは初めてではないだろうか
途中、大正八年創業という文字が見え、中に入る
喫茶去 快生軒 というカフェである
落ち着いた雰囲気で、流れている音楽も耳に馴染む
結構よい時間になった
2018年6月18日月曜日
散策後の歓談
大きなヤマを越えたところだが、疲れがたまっているようだ
先週準備をしている時、頭がボーっとして全く動かないという感じになったからである
頭がその状態なので、体にはそれ以上の影響があるはずだ
今日は朝から八王子の方に足を延ばし、散策した
そして、夜は40年来の友人とその御友人を交えての歓談となった
温かい会話が続いていたのではないだろうか
偶にはこういう会も味なものである
2018年6月16日土曜日
第3回ベルクソン・カフェ、二日目終わる
本日は雨模様だったが、結局は降られずに済んだ
午前中からベルクソン・カフェの二日目の準備をする
問題なく終わると思ったが、途中に理解できないところが出てくる
疲れのためか、理解力低下のためか、何度試みても駄目
自分ではここ1-2週間の疲れが出ていると思いたいのだが、、
今日は遅刻せずに会場に辿り着くことができた
3名の欠席はあったが、6名の方の参加をいただいた
毎回信州から参加される方もおり、有難い
初日に2ページを終えることができたので、今日は3時間で3ページの予定だった
ゆっくり読み始め、初めてホワイトボードを使い適宜説明しながら進めた
これまでその存在に気付かなかったのである
そのためか、理解が深まったというコメントも聞かれた
「対話することを学ぶ」というテーマで、最終的には魂の世話に繋がる対話について考えた
ソクラテス的対話とプラトン的対話の境界は明確ではない
そこで行われていることは弁証法的な鍛錬で、それこそが魂の鍛錬である
それによって対話者や読者は密かに回心することになる
魂が感知できる世界から離れて善に向けて回心することを可能にするからである
対話することにより、対話者が変容するのである
そうなるためには、対話が理論的、独善的にならないようにすること
そして、具体的で実際的になるように縛りをかけること
これが成功するか否かは、対話者の大きさにかかってくる
会の詳細は、専用サイトに近いうちに掲載する予定である
今日も週末のお忙しい時間帯に当カフェに参加していただき、ありがとうございます
テクストの読みだけではなく、活発な議論ができたと思います
今後ともこの会の活動にご理解をいただければ幸いです
次回もよろしくお願いいたします
第13回サイファイ・カフェSHE、終わる
本日はISHEの活動の第二ピークの初日で、朝から準備に明け暮れた
残念ながらエンジンをかけようとしてもなかなか動き出さず
最後まで苦労したが、現時点での限界までできたように思う
ということは、さらに読み込まなければならないということでもある
今日は3名の方が欠席となり、静かな語りができたのではないだろうか
プラトンの『テアイテトス』を読むというテーマで、知識とか科学について考えた
この中で、これまで聞いたことのあるお話の元がここだったことを発見
このような経験には、いつも頭の中をすっきりさせる効果がある
例えば、有名なソクラテスの産婆術(マイエウティケー maieutikē)がそれである
プラトンはソクラテスに次のようなことを語らせている
母親パイナレテは由緒ある厳しい産婆で、自分も同業だ。対話の結果、自分の中にうまく表現できないようなものがあり(何か生み出すべきものがお腹にあり)、それが気がかりになった時が陣痛である。母親との違いは、男たちのための取り上げ役であり、肉体ではなく精神のお産を見とるところである。⇒ 「魂の産婆役」。自分は問いかけるが、何の知恵もないので自分の判断を示さない。それが非難の的になっているが、産むことはしないようにと神に定められている。自分の精神から出たもので、知恵のある発見は何もない。対話者は交わりが進むと驚くほど進歩し、自分の中から自分で見事なものを発見、出産する。それから、知識についての検証の合間に、これまた有名な余談が出てくる
そこでは、司法と哲学の世界の違い、すなわち、一般職業人と自由人の違いが語られる
その違いがよく分かるようになって久しいのだが、
家来育ち(法廷などを徘徊して育った者): 時間に限りがあるので、せわしない言論しかできない。その上、思うことについて言論する自由を与えられておらず、相手から監視されている。したがって、彼らの精神は矮小で不正直なものになる。自由闊達さがなくなり、成長して大成することのない奴隷の境遇にある。ついには了見の少しも健全なところを持つことなしに大人になり、それを自分たちは、智慧者になったとか、人から一目置かれるような人物になったと思っている。
自由民育ち(知恵の探究などというものに暇を使うよう育てられて来た者): 知恵の探究者は時間の余裕が不断に具わっていて、言論も悠々閑々と行われる。真実を求めているので時間などに頓着しない。周りに裁判官も監督するような者もいない。さらに、哲学者というものについてもソクラテスに語らせている
この哲学者像はわたしが描く姿に近いものがあり、途中で吹き出したところがあった
こんな具合である
丁度タレスが星度推考をして上を眺めていた時に穴に落ちて、トラキア出身のおどけ女に「あなた様は熱心に天のことを知ろうとなさいますが、ご自分の面前のことや足元のことにはお気づきにならないのですね」といって冷やかされたという、丁度その通りのものなのである。なぜなら、この種の者は近くの者や隣の者について、それが何をしているかはおろか、それが人間であるか、何かの畜類であるかということさえほとんど知らずに済ましているのであって、知ろうと研究に苦心しているのは、寧ろ、そもそも人間とは何であるかというような本性に属することである。そのため、足元のことや目前のことについて言論しなければならなくなった時、あらゆる行き詰まりを演じて大衆の嗤笑を受けることになる。本題の知識についての検討は、近いうちに専用サイトにまとめる予定です
お忙しいところ、お時間を割いて参加していただいた皆様に感謝いたします
SHEの活動にご理解いただければ幸いです
よろしくお願いいたします
2018年6月14日木曜日
恒例のデジュネ
本日は朝から外で明日からの山に向けて準備をする
デジュネは、このところ恒例になっている学友との歓談とともに
近く出る予定の拙訳の本とわたしの日本語が話題に上がっていた
以前はどこかもやもやとしたところがあったが、最近透き通ってきたように感じるとのこと
頭の中がすっきりしてきたのだろうか
こればかりは自分で観ることができない
学生時代の話題も出ていた
昔の話を聞かされると、いつも発見がある
教養時代の夏休みが終わって戻ってくると、ドストエフスキーは凄いなどと言っていたという
全く記憶にないので、読まずに吹いていたのではないだろうか
そう答えておいた
それから、日本の現状も話題になっていた
それは日本人の頭の中と言い換えてもよいのかもしれない
あるいは、頭の使い方になるのだろうか
いかに効率よく、楽に事を進めるのかに関心が行っているようなのだ
この世の目に触れるもの、手に触れることができるものにしか関心がない状態なのだろうか
さらに、本物を本当に大切にしようとする心が弱いという観察もあった
奥深き文化を抱えている日本をどのように見るのか
アマチュアとして、これも興味深い問題である
お二方ともまだ仕事をされているようだ
この人生においては暇が大切と説いておいたのだが、どれだけ通じただろうか
いずれにせよ、次の機会を期待したいものである
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