ラベル 年のはじめに の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 年のはじめに の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2021年1月2日土曜日

新年の抱負


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新しい年が明けた

快晴の中、日の光を浴びて今年初めての紫煙を燻らす

目を遠くにやると、花が咲いているような赤が見えたので近くに寄ってみた

花ではなく、枯葉に光が当たっていたのだった

 

新年の抱負は、今のところ二つに絞られる

一つは、より広く、より深く考えるように努めること 

これはわたしの抱負だが、社会のレベルでも実践されることが期待される

二つ目は、今書いているものを纏めること

つまり、長期プロジェにケリをつける年にしたいということである






2020年1月1日水曜日

2010年代最初の思索、あるいはエネルゲイア再び



2020年が明けた
2010年代を振り返る余裕はまだないが、わたしを大きく変えたことだけは言えるだろう
今できることは、2010年代最初の正月には何を考えていたのかを振り返ることくらいだろうか
2007年秋にフランスに渡っているので、フランスでの3回目の正月に当たる

当時のブログは「A VIEW FROM PARIS パリから観る」だった
最初のブログ「フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE」の続編である
わたしのブログ生活は、2005年2月16日の以下の記事で始まったことが分かる
私は如何にしてフランス語にのめり込んでいったのか? - 2001年春
当時、ブログをやっている人はそれほど多くないという印象を持ったことを思い出す
因みに、現在のブログは「パリの断章 Mémentos à Paris」を挟んで4代目に当たる
15年もの間、ブログという場所を通してこの世界を観、考えてきたことになる


さて、10年前の記事はエネルゲイアに関するものだった
永遠を視野にエネルゲイアを取り戻す(I)」(2010.1.1)
永遠を視野にエネルゲイアを取り戻す(II)」(2010.1.2)
このテーマは2012年から始まった連載エッセイ「パリから見えるこの世界」第17回でも取り上げている
アリストテレスのエネルゲイア、あるいはジュリアン・バーバーの時間」(医学のあゆみ 245: 895-899, 2013)
これらの記事は自分にとって非常に印象深い思索の跡で、今読み返してもなかなか読み応えがある
そして、そこに書いたことは今、確実に現実の日常に降りてきている
その変化はこの世界を豊かに生きる上で極めて重要なものであると感じている

哲学は、深いところで我々の生活を変える力を持つ(「役に立つ」)営みなのである






2019年1月2日水曜日

2019年、新しい気持ちで



新しい年がまた明けた
年末から一つのプロジェに当たっていたが、年を越すあたりからさらに二三加わった
そちらは幸い無事に終えることができ、ほっとしている
また一つのプロジェに向き合うことができる
ただ、来週金曜にはパリでカフェを予定しているので、その準備もやらなければならない
なかなか純粋に一つだけという訳には行きそうもない

年の瀬から感じている変化として、これまでにない精神の落ち着きがある
これはことを進める上で欠かせない状態である
思い返せば、院生時代にその状態を目指したが、最後の段階でもそこには至らなかった
いまでは、なぜあのように好奇の心で飛び回ることができたのか理解できない
あれから2年を経て、やっと落ち着いて何かをやるという精神状態になってきたようである

昨年のいま頃は、これからのライフスタイルをどうするのか考えていた
いまでは想像もできないようなオプションも出てきて、揺れている状態であった
そして日仏を往復する中、夏に入る前にはやっと一つの道が固まってきた
いつも過ぎ去ってしまうと以前からこの状態にあったと思いがちである
しかし、実は少し前まで全く別の状況に置かれていたのである

今年はそういう揺れを感じることはあるのだろうか





2017年1月1日日曜日

ヨーロッパでの10回目の正月を迎えて



ヨーロッパで10回目、トゥールでは2度目の正月を迎えた
特に感慨が湧くということはない
朝の空模様は昨日と同じである
今年の先行きを暗示しているのだろうか

昨年の今頃はパリで、これからどうするのか、どのような道があるのかを探っていた
その大枠が見えてきた今年は、何をするのかがテーマになるだろう
より正確には、これまでに浮かんできたプロジェを如何に実現させるのかが問題になるだろう

昨年末に意識できたことがある
それは外に出て世界をこの目で観る時、そのすべてが非常に明瞭に見えるということである
そのすべてが美しく、しっかりした映像として捉えることができているという認識である
より主体的に言えば、この世界を写し撮る、あるいは移し取ろうとして観ているということである
その結果として、この世界が焼き付くように捉えられるようになっている
この観察を広げれば、例えば本を読む時、人の話を聴く時などにも起こっているように見える
生物の重要な機能が外界との調節にあるとすれば、今回に発見は非常に重要なものになる
それ以上に重要なのは、このことが精神に充足感を与えていることだろう

今年も発見に満ちた日々が訪れるよう目を凝らして行きたいものである




午後から元旦の街に出る
ほとんどの店は閉まっているが、市役所界隈は僅かに開いているところがあった
新しいカフェで、今年最初の飲み物はリストレットになった
店の人の応対が優しい
一緒に入ってきた母親と子供三人の家族連れがすぐ横に座った
学校に入る前と思われる一番下の女の子が、母親に何語で話したらよいか訊いている
そして、わたしに Where are you from? と話しかけてきた
どうして英語だったのですか?と母親に尋ねると、アメリカから来たと思ったとのこと
日本から来たと答えると驚いていた

暫くすると、小学校低学年と思われるお姉さんが、「こんにちは」は日本語ですか?と仏語で
そうです、と答えると恥ずかしそうに喜んでいた
どうも異文化に興味津々のようで、こちらを覗き込みに来る
こんなことはパリのカフェでは一度もなかった
先日、フランスの子供に日本語や日本文化が入り込んでいることを知ったが、それを確認した
最後に母親が、こちらの寒さは大丈夫ですか?と訊いてきたので想像以上に穏やかだと答える
すると、この答えにも驚かれた

今年もこのような偶然と小さな触れ合いを大切にしながら歩みたいものである




帰り街中を歩いていると寒くなる
丁度その時、一つだけ開いている温かい飲み物を出しているところが目に入った
今年初めての vin chaud を路上の立ち飲みで味わいながら、これからを思う
とはいうものの、いつもその精神状態にあるので、仕事をしている時ほどの有難さはない