2019年7月31日水曜日

秋は始まっている



今日は用事があり、朝からパリへ
想定とは異なり、バスが来るまで運悪く20分の待ち時間
これはTGVに乗り遅れると思ったその時、タクシーが来てくれた

問題が起こった時、思いも掛けないような解決が待っていて、何もなかったように次に進む
このような展開をよく経験するようになっている
あるいは以前にもあったのだが、よく観察していなかっただけなのかもしれない

街を歩いていると、すでに枯れ葉が芝生を覆っている
ところによっては、掃除の後か、山のようになっているところもある
秋が忍び寄っている

用事の方は問題なく終わった
朝のカフェもよい集中ができた
これからトゥールに戻る

今日はオステルリッツ駅からのアップとなった






2019年7月30日火曜日

A・N・ホワイトヘッド「単純さを求めよ、而してそれを疑え」



昨夜、A・N・ホワイトヘッド(1861-1947)のプロセス哲学関連のビデオに行き当たった
その中に、この哲学を引き継いだチャールズ・ハーツホーン(1897–2000)が出ていた
名前は知っていたが、どのような哲学者かは知らなかった

お話を聞いていると、真摯に探究する人という印象を持った
そこで紹介されていたホワイトヘッドの言葉に膝を打った
"Seek simplicity and distrust it."
このようなことが言えるホワイトヘッドには天才がある、とハーツホーンは言っていた
こういう反応によって、哲学とはどういう営みなのかについての感触を得ることができる
この言葉は、次のような文脈にあったものだ
「科学の目的は、複雑な事実の最も単純な説明を求めることである。単純さが我々の探求の目的なので、求める事実は単純であると考える誤りに陥りやすい。すべての自然哲学者の人生を導く座右銘は『単純さを求めよ、そしてそれを疑え』でなければならない」
わたしなりに少し敷衍してみたい
科学は17世紀以降、大きな発展をしてきた
その根にあるのは、還元主義や物理主義や決定論を科学の哲学にしたことである
単純化の道を歩んできたのである

しかし、そこで得られたものが自然を反映していると言えるだろうか
自然はもっと複雑なはずである
つまり、単純化して得られた結果は、常に反省の対象でなければならない
これはわたしの言葉で言うところの「科学の形而上学化」に当たるのではないのか
哲学者の役割は、まさにそこにあるとも言えるだろう

実は以前からホワイトヘッドは気になる存在であった
人生の歩みに興味を持ったのが最初であった
また、有機体の哲学を展開した人でもある

思わぬところから、ホワイトヘッドに繋がる糸口が見えてきた感じがしている






2019年7月27日土曜日

熱波からの帰還





今朝は小雨が降り、昨日とは20℃ほど気温が違う
やっと落ち着いてくれたせいか、月曜のような気分であった
今日から活動開始という感じである

朝から用事があり、外に出た
しかし、後から勘違いをしていたことに気付き、戻る
こういうことが多くなっているが、こころの揺れは全くない

今日は結局三か所で仕事らしきことをすることになった
若いアメリカ人の学生か観光客の話声を大きく、気になった
途中リブレリーに寄り、新しい本を探す

夕方、久しぶりに涼しい風を部屋に入れることができた
やはりホッとする




2019年7月26日金曜日

合唱というジャンルを発見




それにしても本日も40℃を超え、カニキュールが続いている
何ということか
結局、諦めてぼんやりすることに
ネットサーフしている時、合唱が流れ始めたのでそのままにしておいた

久し振りに聞く合唱だが、暑い中こころを鎮める効果があることを発見
これまでは殆ど訴えかけることがなかったジャンルだ
一つ大きな要素は、日本語の詩をより純粋な形で味えるところにあるようだ
詩を味わうもう一つの方法と言ってもよいかもしれない

そのタイトルは「群青」となっていたので別の曲を予想して聴き始めたが、なかなか良い
その昔の心象風景を思い起こさせるところがある
懐かしさとでも言えばよいのだろうか
そこに向かうことは心頭滅却の方法になるのかもしれない

思わぬ発見であった












2019年7月25日木曜日

バルザックでも読みたい気分の夕暮れ時



予報は中ったようだ
朝から快晴で、しっかりと暑い
カニキュール二日目、今日は籠ることにした

夕方、植物園の柵で展開されているバルザックとワインの写真展を撮るために出かけた
トゥール生まれのバルザックの小説には「トゥール」が出てくるようだ
残念ながら、まだ読んだことがない

写真の添えられた引用を読んでいるうちに、読んでみたい気分になってきた
小説にはなかなか手が出なかったが、そろそろよいのではないか
そんな声も聞こえた時間が止まったような夕暮れ時である







2019年7月24日水曜日

カニキュール、再び



今日は熱いなぁと思ったら、40℃を超えている
予報によれば、明日と明後日も40℃を超えそうである
電力会社からメールが届き、室内の温度を上げないように窓などは閉めましょうとのこと
確かに、普段は外気を入れると気持ちがよいのだが、今日は逆効果だ
シャッターまで閉めた方がよさそうである

これを言い訳にプロジェをお休みにしたいところだが、、





2019年7月19日金曜日

改装されたモンパルナス駅





本日は用事があり、朝からパリへ
モンパルナス駅は少し奇麗に、模様替えしたようだ
例えば、今日の写真にあるように

今日は結局のところ用事だけで終わった感じだ
何ごともなかったかのように戻った
もうすぐ夜の9時だが、まだまだ明るいのは気持ちがよい









2019年7月18日木曜日

ビリー・ホリデイの60回目の命日



今日はビリー・ホリデイ(1915-1959)が44歳で亡くなってから60回目の命日だという
若い時には理解できなかった歌手である
中に全く入って来なかったのである

それが変わったと思ったのはいつ頃だっただろうか
ブログにその記録が残っているはずなので調べてみた
残念ながら、最初に意識した時のことは見つからなかった

おそらく、フランスに来る前か来てからのことではなかったかと思う
どの曲を聞いても全身が震えるようで、素晴らしいのである
それまでは全身の一部しか使われていなかったのではないかと想像される

ブログには、映画館で突然彼女の I am a fool to want you が聞こえてきた時のメモがあった
もう10年も前のことである
 映画 "Le Concert" でビリー・ホリデイと遭遇 (2009-11-15)





同じように、それまで全く入って来なかったのに、ある切っ掛けで突然現れた歌手がいる
エディット・ピアフ
その経緯は以下の記事にある
エディット・ピアフ Edith Piaf(2005-4-8)

今日は偶然にもジョン・コルトレーン(1926-1967)の命日でもあるという








2019年7月12日金曜日

滞在の全体を思い描く



今週は昨日まで連日嫌になるほどの快晴
文句のつけようがないのだ
今朝は曇りで涼しいと思っていたら次第に晴れ出し、結局30℃に達した

今週は快晴に誘われるように朝から街に出ているが、本日もそうなった
型に嵌っている
しかし、集中力は日によって異なるものの、アパルトマンにいるよりはよさそうだ

今日は今回の滞在の全体をぼんやりと思い描いてみた







2019年7月9日火曜日

街に出て、よい時間を過ごす



久し振りに完全オフにした週末が明け、週の初めはやはり新鮮だ
今日は以前のペースを思い出し、朝から街中に出ることに
お馴染みのカフェだが、模様替えをして小奇麗になっている
そこで、緑滴る街路樹に囲まれ、頭を絞ることになった
この空間は精神を静かに刺激する
頭を絞ることに悦びを見出させてくれる

午後からは旧市街のカフェへ
こちらもお馴染みの場所で、午前中と同じ3時間集中できた
進捗状況とは関係ないが、集中できたことが大きい
やはり休養は欠かせないのだろう 
広場は完全にヴァカンスムードだ

それにしても未だに毎日のスケジュールに型がないのは、強みなのか弱みなのか
これまでにも触れているような気がするが、型を作るだけで窮屈になる
その日の気分に任せてその日の絵を描く
これが一番ストレスが少ない、自然で、自分に合ったやり方になるのではないか
まさにインプロヴィゼーションの中にこそ自由があり、生を飛翔させる力があるのではないか






2019年7月6日土曜日

映画『ルルド』を観る




今日は快晴で30℃に近かった
昨日発見した、外からは分からないが新しくなったカフェに寄り、プロジェに当たる
暑さが盛り返しているので、なかなか大変だ

夕方、先日偶然に見つけた「ルルド」(Lourdes)という映画を観に出かける
奇跡が起こるというオート・ピレネー県にある聖地に関するドキュメンタリーだ
科学時代から見れば、そんなことはあり得ないと一笑に付されそうだが、実際にはどうなのか
それをこの目で確かめたいと思ったのである

監督はティエリー・デメジエール(Thierry Demaizière)とアルバン・トゥルレ(Thomas Teurlai)
それぞれ不可知論者と無神論者である
監督によれば、この映画は宗教や信仰についてではなく、人間の状況を描いているという
人間と苦しみや死との関係がテーマのようだ
そのためかどうか分からないが、信仰を超えた聴衆を集めているという
ただ、今夜の館内には殆ど人がいなかった

映画は病気を持つ人がいるいくつかの家族や軍隊、ジプシーなどが巡礼する姿を追っている
最後は奇跡に至る儀式が映し出されて終わっていた
当事者は真剣に奇跡を期待しているのだろうか
あるいは、出口のないところから出て、外に繋がりを求めるという心理があるのだろうか

観終わった印象は、どこかに向けて解放されるというよりは重い気持ちになっていた
それがなぜなのかは分からない
自分には想像ができない世界での出来事なので尚更なのだろう
あるいは、信仰とは関係なく、病気の表れや人間の終わりと関係があるのかもしれない








2019年7月4日木曜日

ロンサールの人生を垣間見る



本日は用事があり、パリへ

出る前に近くのカフェに立ち寄った
これまでなかったウィフィを付けたとのアノンスがあり、嬉しくなる
これで身近にもう一つ仕事場が増えたことになる
一番利用することが多くなりそうな予感がする

パリへの車内で、届いたばかりのルネサンスの詩人ロンサールの紹介ビデオを観る
フランス文化に触れ始めた時に感じた形容のしようのない「いい感じ」がここにもある
古いものに取り囲まれた画面がビロードの肌触りで、濃密で豊穣なのである

ロンサールは欲望の詩人だという
人生の最後まで生を肯定したようだ
耳が聞こえなくなったが、それにもかかわらずかそれ故に彼に良い影響を与えたのではとの分析
病気に含まれる意味を考えさせる
どのような意味を持たせるのかは、その人に掛かっている
実は、すべてのことに当て嵌まることなのだろうが

彼が謳ったバラに含まれる意味も多様のようだ 
先日発見した場所は紹介されていなかった
再訪して自ら発見するしかなさそうだ





2019年7月2日火曜日

ロンサールの終の棲家を発見





今日は朝から涼しい風が流れ、快適にことを進められそうな気分であった
久し振りに郊外のカフェでプロジェに当たった後、街のカフェに寄った
いずれも気持ちよく進めることができた
毎日が日曜ではあるのだが、世に言う曜日がどこかで気分に影響を与えているようだ
週の初めはどこか新鮮で、その感覚も影響したのだろう


ディネの後、ルモワン氏に聞いた場所を探るべく散策に出た
ほぼ1時間くらいだっただろうか
この方面は、これまで足を踏み入れたことのないところである
静かで緑が多く、なかなか落ち着いた街並みで、好感を持った
結局ロワールまで辿り着かず、場所探しは次回のお楽しみとなった

しかし、散策の途中、とんでもない場所を発見することになった
こんなところに由緒ある場所などあるはずがないと思っていたので、本当に驚いた
何とルネサンス期の詩人ピエール・ド・ロンサール(1524-1585)が眠っている場所があったのだ

既に閉まった扉の前に「Ronsardの住まい」とあったのだが、俄かには信じられず
サン・コム小修道院Prieuré de Saint-Cosme)ともあったが、Ça ne me disait rien.
ただ、すぐ近くに彼の友人だったジョアシャン・デュ・ベレーの通りがあり、あるいはと思っていた
アパルトマンに戻り、それを確認してなぜか非常に豊かな気分になってきた
ロンサールはそこの修道院に葬られているようだ


わたしの中のロンサールは、フランス語を創った5人の一人として記憶に残っている程度
それにしても12年ぶりに蘇るとは、何という嬉しい驚きだろうか 

 フランス語を創った5人(2007-01-09)
 続フランス語を創った5人(2007-01-10)

フランス語を創った他の4人は上の記事にもあるように、
 フランソワ・ラブレー(ca. 1494–1553)
 ジョアシャン・デュ・ベレー(1522-1560)
 ミシェル・ド・モンテーニュ(1533-1592)
 テオドール・アグリッパ・ドービニェ(1552-1630)


外から見るところ、なかなか感じの良さそうな空間であった
もう一つ探索の場所が増えたことになる