2018年9月29日土曜日

荒れた庭に愛着が



庭に出て椅子に腰を下ろすと、伸び放題の植物と目線が同じ高さになる
暫くすると、先日、草を少し刈ったせいもあるのだろうか
親しみを感じるだけではなく、荒れた庭が美しいものに見えてきた
色々な動物が生活しているだけではなく、どこからともなく集まってくる
それらを眺めているだけでも飽きない

このまま放っておくと、一体どうなるのだろうか
行く先を見てみたい思いに駆られた
一瞬、熊谷守一の庭が頭に浮かんだからだろうか
これが草刈りをさぼるための言い訳ではないことだけは確かだ


午後から郊外に出て30-40分サイクリングを楽しむ
初回としてはこんなものだろう
体力的には大丈夫そうだが、体が硬くなっているのでバランスが問題になるだろう
今は慣れるのを待つしかなさそうだ





2018年9月28日金曜日

日本人あるいは日本文化に関する番組を観る



日本ではテレビがあるので気分に任せて流している
前回、旅の番組が多いことを書いたが、日本に関するものも少ないことに気付く
古くからの生活をしている日本人や日本の文化、日本の職人の技などを紹介する番組である
これも一大ジャンルになっているのではないだろうか

これらの番組を観ていて改めて見えてくることがあった
よく言われることだが、現代においても自然の中に自らの身を置きながら生活していること
自然に逆らおうなどという気持ちの欠片も見られない
自然に従順な姿だが、自然に限らず外界の出来事に対しての姿でもあるように見える
そして抽象的な概念を用いて語るのではなく、身近の言葉で実に細かなことを語っている
職人の仕事などもまさにこの流れの中にあるのだろう
そのためだろうか、出来上がってくる作品の完成度の高さには目を見張るものがある

西欧の思想に基づいて語っているように見える場合でも、付け焼刃的なところが拭えない
日常がそのように動いていないからだろう
それと関連しているのかどうかわからないが、問題の核心に迫るような議論が極めて少ない
議論がいつもぼんやりしている
現実の捉え方が甘い、あるいは現実をしっかり捉えようという意思が弱いからだろうか 


その昔、アメリカに滞在していた時のこと
アメリカに亡命したソルジェニーツィンがテレビに出てきたことがある
それは一大イベントで、わたしも興味津々で観た記憶がある
そこで彼が話した内容は、痛烈なアメリカ文化批判だった
後に彼の批判に対する批判のようなものが出された
それは、彼の批判の根拠はテレビの情報だけではなかったのかというものだった

わたしの感想もすべてテレビを観てのものなので現実世界でどうなのかは分からない
しかし、過去の蓄積もあるので、それほど外れていないのではないかと思っている






2018年9月25日火曜日

異空間が繋がる



この連休、庭に出て瞑想する時間があった
バッタが膝に上がってきたが、全く動かない
よほど気持ちが落ち着くのだろうか
そう思って暫くすると、尻尾から表面が光っている細長い塊がゆっくり顔を出した
バッタの排便を初めて見た瞬間であった

黄色い蝶々もトンボもまだ飛んでいる
日の光を含んだススキの穂の何と柔らかい色であることか
ぼんやり空を眺めていると、遠くから風に乗って高校野球の試合の案内が聞こえてきた
その時、トゥールのアパルトマン前のラグビー場の案内と重なる
長閑な昼下がりという形容がピッタリの時間であった


街に出ると、これまで気付かなかった珈琲店が目に入る
入ることにして近づいた時、アメリカかカナダの郊外のコーヒーショップと錯覚する
あり得ないと思っていた場所で異空間が繋がった
 
目に見えるはずのない世界がそこに現れてくる
世界が急に豊かになったように感じた





2018年9月22日土曜日

友人の通夜



昨日、同期生が亡くなったとの連絡が入る
専門が同じだったので、日本にいる時にはお世話になった
今回、数年前から病に侵されていたことを知る

今日、通夜があり出席した
フランスにいれば遠い世界の出来事だが、日本に戻ると身近な問題になる
このような会では予想されることだが、思いもかけない人との再会があった
お話しできたのは、懐かしい方数名を含めて7-8名だっただろうか

こういう何気ない接触が大切なものに思えてきた一夜であった





2018年9月21日金曜日

思いがけないお誘い



昨夜、外国の方からメールが入った
アメリカ在住の科学者だが、理論的な(哲学的な)研究をされているようである
今度パリに行くので、その時にでも話をしたいがどうだろうかという問い合わせであった
仕事の方向性が似ているので、実現すれば興味深いランデブーになりそうな予感がする
ということで、今朝は関連の論文を読んでいた

午後からは庭に出てぼんやりと読む
日に当たるだけで体は疲れるようだが、頭にとっては悪くなさそうである






2018年9月19日水曜日

外に居る者



今朝、荒れた庭を見ているうちに、また草刈りをやりたくなった
30分ほど汗を流す
前回ほど腰には来なかった

暫くすると、その庭に出て落ち着いてみたくなった
物置に行くとその昔使った机と椅子が蜘蛛の巣の中に見つかり、それを出して腰を掛ける
なかなか気持ちがよいものである
こんなことをやろうなどと、これまでは考えたことがなかった

35年ほど前の谷川徹三と福田定良の対談に耳を傾ける
テーマは東洋と西洋のちがいについて
議論にはやや粗いところがあるように感じたが、素人にとってのイントロにはなるだろう
お昼前に風が強くなるまで、のんびりと過ごす

やはり外はよい
これ、隠者の生活か
少なくとも「外に居る者」という点では重なるところがあると言えるだろうか?




2018年9月18日火曜日

旅番組で繋がる



朝、海辺へ足を延ばす
ここは省察の場所になることを確認
久し振りにシガーをやってみようかという考えが浮かぶ

帰ってテレビをつけると、マイアミの海岸で仕事をやっている人が出てくる
リトル・キューバでは葉巻屋が出てくる
何という繋がり方だろうか

その後の番組ではベトナムが出ていて、アレクサンドル・イェルサンという言葉が聞こえる
天上の楽園の構想が取り上げられていた
もう5年前になるが、この人物についてエッセイを書いたことがある
大学で調べ物をする予定があったので、途中までしか観ることができなかった

いろいろと繋がってくれると、それだけで嬉しくなる
その後も滑らかに事が進んだ
繋がってくれたと言い換えてもよいだろう

上の例でも分かるように、テレビの番組の一大ジャンルとして「旅」があるようだ
散歩、ランニング、自転車での移動、バス・鉄道・船の旅といった具合だ
国内もあるが、ヨーロッパが意外に多い印象がある
今日、ギリシャが出ていたが、一度訪れてみたい、そんな気にさせてくれるところだった





2018年9月17日月曜日

自然の中で過去人の声を聴く



今朝の3時ころ、また揺れを感じて目が覚めた
震度3という
調べると、これまでにかなりの余震があったことが分かる


本日も朝から、これからの日課になりそうな川の辺りに出かけた
自然の中で読むと、どうしてこうもよく入ってくるのだろうか
それはこういうことではないのか

自然の中にいるとその中に溶け込み、自分が消える感覚がしばしば襲う
自己を縛っているものがなくなった空間は限りなく広い
余分なものがなくなったその空間では、過去人の声がよく響くのである

家に戻ってから、庭の手入れをしてみようかという気になる
こんなこと、かつてなかったことである
合わせて1時間ほど、腰の痛みともだるさとも言えない違和感を感じながら汗を流す

フランスで失われた体を取り戻す作業の最中なのかもしれない







2018年9月16日日曜日

新たな日課?



暫く生活すると思うと、周りの見え方が変わってくる
どこか別のところを思い浮かべるのではなく、そこで利用できるものを探そうとする
それが気持ちよく生活するためのコツになる ことを発見
これは一時的に立ち寄った時には浮かばなかったことである

ということで昨日、自然豊かな素晴らしい公園を見つけることができた
川縁に椅子を据え、小川のせせらぎを聞きながら、読書と省察に至福の時を過ごした
今朝も訪れたが、この世界と一体になって読み考えているのが分かった
幸いなる発見であった

ひょっとすると、これは日課になるかもしれない





2018年9月15日土曜日

『免疫の科学論』の書評出る



6月に出たP・クリルスキー著『免疫の科学論』(拙訳)の書評が本日号の図書新聞に出た

評者は杏林大学名誉教授の大野秀樹氏

図書新聞のご厚意により、こちらから全文を読むことができるようになった

是非お読みいただき、実際に本書を手に取っていただけるとすれば幸いである

ゆっくりお付き合いいただけると、興味深い発見があるだろう

大野秀樹氏と図書新聞には改めて感謝したい





2018年9月12日水曜日

賀集裕子というピアニスト、そして久し振りの海



今朝、テレビをつけると初めてのピアニストが演奏を始めたところだった
既に80歳を超えているというそのピアニストの音に若さと深みを感じる
自らの内なる声と対話しているような演奏に惹き込まれる

そのピアニストは、賀集裕子(かしゅうひろこ)さん
これまで地道に研鑽を積んで来られたのだろう
音楽に夾雑物がないのだ
成熟し続ける音楽家を見たようで、気持のよい朝となった


その影響か、海辺まで散策したくなる
久し振りに地上から見る海である
沖に船が浮かんでいると、なぜか落ち着く
そして、寄せては返す波の音が無の世界に誘う
外から来る音が外界との遮断を助け、自分の中へと導いてくれる
この場は瞑想に使えそうだ
そんな考えが脳裏を掠めた




2018年9月10日月曜日

元のペースに



夕方、曇りガラスの向こうがいつもと違い明るい
開けてみると、この眺め
やや不気味に感じる
地震が心理的な影響を与えているのだろうか

今週から元のペースに戻したいものである




2018年9月9日日曜日

初めての訪問者とこれまでにない地震



先日、ぼんやりした視線を外に向けると嬉しい訪問者がいた
これまでに経験がない
これはまた、昨年春のトゥールでの出来事を思い起こさせる景色でもあった
静かな春の一日、そしていくつかの気付き (2017.3.29)

ところで現在、北海道に滞在している
数日前、寝ている時に激しい揺れを感じ、目が覚めた
これまでに帰国した時には殆ど毎回、地震か台風に遭っている
その度に、大変な国に住んでいることを思い知らされる
そして、揺れのないフランスを羨ましく思う

その日の午前中は停電となったが、幸い午後には回復してくれた
わたしのところは殆ど影響はなかったが、停電や断水が続いているところがある
身近にいると、電気や水のない生活がどれだけ不自由で不快なものかも想像できる
早期の復旧を願いたいものである





2018年9月2日日曜日

フランスでイデアリズム、日本でリアリズム?



以前から感じていたことが、今日のタイトルになった
日本に戻ると、現世の出来事が身近に迫ってくる
フランスではそれが消え、自然に観念の世界に遊ぶことができる

おそらく、人間にとってこの二つは両方とも必要になるのだろう
フランスに行く前に感じていた不全感は、そこから来ていたのかもしれない
いまはその不全感は消えている
10年に及ぶ静かな無為の時間が遊ぶ空間を作ってくれたからだ
これからの問題は、まずその空間にどのようなものを作るのかということ
そして、自らの根の方にも目をやることだろう

日仏に身を置くということは、上の二つの世界に楽に入るための手段なのだろう
もともと横着なところがあることを考えれば、致し方ないのか
それがどのような効果を示すのか、いまは予想もできない
いつものように経過観察になる






2018年9月1日土曜日

日仏を同じ比重に



もう9月である
1年もあっという間、という感じだ

昨日、日本に戻った
以前は日本に帰ってきたというホッとするような、どこか新鮮な気持ちがしたものである
フランスを拠点にしているという気持ちがどこかにあり、訪問する感覚だったからだろう

しかし、今回はそのような感覚が全くなかった
日本とフランスの両方を拠点にできないかと考えていることが影響しているのだろう
日仏の間で意識が断絶することなく、同じ平面上で繋がってくるからだろう
本当に、ちょっとどこかに行くために電車に乗るような感覚の移動に近かったのである

しかし、この感覚、やや詰まらない感じもする
それを回避するには、別の空間に足を延ばさなければならないということなのか
暫く、様子を見ることにしたい