2020年4月8日水曜日

精神と魂と身体(4)




反二元論(1)

二元論者は次のように考える

1)精神は、物質とは根本的に異なる種類の実在するものである
2)心的性質と心的状態は、非物質的なのものの性質と状態である
3)物質的身体のあるものは精神と密接に関係し、人間は物質的なものと非物質的なものが結び付いたものである

1世紀以上前から、二元論はあらゆる流れの哲学者にとって打倒すべき主張であった
例えば、固有の身体を扱う現象学者、精神分析に傾く哲学者、マルクス主義的唯物論者、認知主義哲学者、物理主義者等
二元論に対する批判的な戦略は多数あるが、主要なものは二つである

(1)二元論は、身体を疎外した形を表しているという考えから始めることができる 
抑圧的な中身を隠さない道徳的、宗教的原理を理論的に包み込んだものとしてである
二元論はユダヤ・キリスト教と結び付いている
キリスト教は身体、享楽、快楽、そして生のすべての良いことの敵であると考える人がいる

しかし、多くのポストモダン哲学者は、我々は快楽を求める身体であると言う
古代の唯物論(デモクリトス)に健全な回帰をすることを説き、ニーチェの流れに結び付いていると主張する
これが反二元論の「大陸哲学」版である

(2)心的性質について語るすべてのことは、物理的性質で十分に説明することができる
二元論の主張は役に立たない
この主張は我々を神秘的な実体の存在へ、物質に還元できない精神へと導くことになる

物理学、生物学、神経心理学における科学知の進歩は、少しずつ精神の記述に戻ることを排除している
このタイプの言説は、単純な語りとしてだけ存続するだろう
意図、信念、行動理由、意思、希望、愛について普通の語り方を排除して科学的な記述に至るこのような構想
それは紀元前5世紀のデモクリトスの唯物論と同じくらい古いものである

例えば19世紀の終わり頃のように、それは周期的に戻ってくる
科学の進歩のお陰で、精神の「自然化」は遅らせることができないという大声のアナウンスと同時に
「分析哲学」版の反二元論は、哲学的だが新しい衣装を着け、英語で語られる古臭い考えではないのか


(つづく)









2 件のコメント:

  1. 肉体(物質)と精神(神様から頂く心)の二元論は、キリスト教の不文律(原典がない)であり、西欧キリスト教神学の特徴だと思います。このために、脳科学はあえて入り口近くをウロウロとして、記憶の分子構造と意識現象のネットワーク構造から、目を背けてきたのだと思います。

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  2. コメントありがとうございます。キリスト教の二元論はおそらくプラトンあたりから来ているのではないでしょうか。脳科学を詳しくフォローしているわけではありませんが、記憶の分子機構などは大きなテーマになっているのではないかという印象ですが、いかがでしょうか。

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