2020年4月10日金曜日

精神と魂と身体(6)





反二元論(3)

(2)を続けると、ポストモダンにとっては唯物論は反形而上学になるが、実は一つの形而上学である
 それは次のようなことからである

1)精神は存在しない
2)心的性質、あるいは心的状態を語ることは一般的な語りで、自然世界の真面目な(=科学的な)概念を成していない
3)物理的な性質と物理的な状態しか存在しない
従って、心的性質や心的状態はすべての科学的説明から排除されなければならない

しかし、二元論と唯物論の間には他の形而上学的テーゼが存在する
それが同一説で、上の1)と2)は認めるが、3)は拒絶するという立場である
それは次のような主張である

4)心的性質と心的状態は物理的性質と物理的状態と同一である

従って、心的状態は排除されず
雲が浮遊する粒子の集合であり、温度が分子の運動エネルギーであるように、意識はニューロンの状態である

この説はいろいろな問題にぶつかる
その中には、同一性が(心的、物理的)型に関するものなのかどうかという問題がある
これは議論の余地がある
異なる物理的状態を持つ非常に異なったオーガニズムは、ある心的状態を共有できないのではないか
換言すれば、「心的状態の多重実現可能性」は存在しないのではないか、ということである

物理的出来事と心的出来事の間の同一性は、次の同一性を意味しない
それは、物理的状態の型と心的状態の型の同一性、およびある部分の物理的型と他の部の心的状態の同一性である
心理学的同一性の擁護者が答えを探す際に出会う難しさは、「機能主義」という主張を発展させた
そこでは、心的状態の型は原因を示す役割によって定義される

5)心的性質は、個人の観察できる行動を説明可能にする機能的役割によって特徴付けられる

となるのである


 (つづく)








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