2020年4月9日木曜日

精神と魂と身体(5)




反二元論(2)

二元論に対する二つの批判は非常に異なっている

昨日示した(1)は、二元論は何かを隠していると考える
それは適切な解釈によって明らかにできる
このやり方は19世紀終わりから多くの大陸哲学者、特にポストモダン哲学者により引き継がれている

二元論は厳密に物質的ではない現実に訴える
そのため、必要があれば人間を欲求不満や社会的疎外状態に置いたままにするのに役立つ幻想の中で二元論は充足するのである
ポストモダン哲学者にとっての問いは、二元論が正しいかどうかではない
二元論を非難するのは、それが欲求と身体を抑圧するからである

この批判は多様な形を取り得る
例えば、よく練り上げられたフーコーなどの形や荒っぽいオンフレなどの形がある
結局のところ、この型の批判は二元論に対して議論するというより、物質性の名の下に二元論を悪意で解釈する
この流れにいる多くの哲学者は道を変えた
そして、ポストモダン哲学者がチャンピオンになるのである

昨日の(2)は反対に、二元論に対して真っ向から正反対の立場を取る教義を発展させる
二元論は拒絶すべきイデオロギーであり、間違ったテーゼであることを疑わない
要するに、二元論は非物質の心的現実の存在を正当化できないのである

唯物論は二元論の持つ価値の拒否や破壊を擁護し、生命の迸りや欲求に反対する試みを罵倒する反イデオロギーではない
唯物論はただ単に、生命の正しい説明は非物質の心的現実への参照なしで済ますということを意味している


(つづく)









0 件のコメント:

コメントを投稿