2022年4月20日水曜日

パットナム「自然主義の中身と魅力」(2)

























「多元主義」


すべての認知のためには一つの言語ゲームで十分であるという考えを否定するのが概念的多元主義であると定義することは可能である

しかし、それはあまり助けにならない

「自然主義者」も条件付きで、そう認めるからである

最も一般的な条件は、クワインが言う第1級の概念システム(科学、あるいは適切に形式化された科学)と「第2級の概念システム」の識別に代表されるものである

周知のようにクワインの主張は、第1級の概念システムだけが我々が真面目に相手にすべき世界を含んでいるというものであった

例えば、物理学の概念システムには「意味ありげな事実」に対応するものは何もない

そのような事実に最も近づくことができるのは、わずかにスキナー(1904-1990)流の行動主義心理学である

もしスキナーの心理学が意味の説明をできないのだとすれば、意味にとっては最悪である

他の「自然主義者」は第1級と第2級の間の線を別のところに引くかもしれない

「自然主義」の大部分のバージョンに共通するのは、狭義の科学的第1級のシステムに合致しない概念的力や活動は、正真正銘の理性的な言説には満たないものと見做されるということである


わたし自身の概念的多元主義の核心にあるものは、「自然主義者」によって十分に理性的言説になっていないと見做されるいろいろな言明は、ジェームズ・コナント(1893-1978)が言ったように、「他のいずれの言明と同じように、真理と正当性の規範によって十分に支配されている」正真正銘の言明であるという主張である










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