2022年4月16日土曜日

函館最終日、哲学のことなどを思う

























人生とはこんなものである

これから離れるというその日に見事な快晴となった


今回再確認したことがある

それは、時間が消えるという経験は至福に繋がるということである

一日にそのような時を味わっているとすれば、それすなわち幸福な時間になるということである

そういう時のある一日は長い

一日をたっぷり味わっているという感覚になる

このテーマについては、6月に出る予定のエッセイ本でも取り上げている



ところで昨日、五稜郭から戻った後、カフェに暫く腰を下ろしてからホテルに戻ることにした

その時、もう10年程前になるデン・ハーグで同じようにしている時と重なり、今どこにいるのか分からなくなった

ある意味では、時空が消えているのだ

その感覚の中、老年期に入っていると思われる日本人哲学者による日本の哲学の現状分析を読んでいた

いろいろなことが言われていたが、おそらく昔から言われていることではないのかと想像していた

例えば、日本人は自国の哲学者の仕事をちゃんと評価しないで、いまだに海外の新しいと思われるものを追っている

そこから、自分の哲学を確立しようという気がないのではないかという疑問が生まれる

それと、一般的にだが息が短いという評価をしていた

勿論、西田幾多郎のような人もいるのだが、、

昨日の亀井勝一郎のエピソードとも繋がるようなものもあった

最初の作品を纏めるまでは恰もダムで堰き止めるように貯めることが重要だと考えているようであった

キャリアのために早くからいろいろなものを書こうとする傾向があるが、結局はためにならないというのである

内発的なテーマがないので、息の短さにも繋がっているのかもしれない

哲学などは、そもそも大学などでやるべきものではないのかもしれない















































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