2022年4月12日火曜日

ヒラリー・パットナムの「科学と哲学」8
































「歴史のもう一つの見方」


ハイデッガーの『存在と時間』によってヨーロッパに広がった哲学の「危機」についての見方がある

それはハイデッガーのような元神学生にとっては自然なのだが、伝統的哲学を神と存在の神学(ontotheology)と見ていたことである

もう一つの「危機」の説明は、バートランド・ラッセル論理実証主義者の著作に見ることができる

それは、哲学が決着しない議論に導くことと、「新しい論理」によってその解決が可能になるので、伝統的な哲学は完全に置換されなければならないという認識であった


哲学における「進歩」は、問題を最終的に「決着すること」である必要はない

この問題は古い歴史を持っており、確かに中世では哲学はそのように要求されたが、単に神学を支えていたわけではなかった

一つだけ例を挙げれば、物理科学における観察できないものについての言説は真に「表象主義的」であるのかという問題がすでにバークリーヒュームの時代に見られたのである

量子力学をどのように解釈するのかという問題は、現代におけるスピンオフに過ぎない

哲学は決して存在神学ではなかったのである

これが哲学の「危機」とか「哲学の終焉」という考えが全くの間違いであることの理由である

そして、もし哲学の問題が常に我々とともにあるという意味で解決不能であるとするならば、それは残念なことではなく、寧ろ素晴らしいことなのである

(了)







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