2022年4月17日日曜日

パットナム「自然主義の中身と魅力」(1)
























数日のブレイクであったが、少しスッキリしたように感じられる

気分が変わったところで、新しいパットナムさんを読むことにしたい

今回は、2004年の「自然主義の中身と魅力」というエッセイである

早速、最初のセクションから始めたい


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タイトルが示唆するように、わたしが問題にする「自然主義」に関して二つの問いがある

一つは、「自然主義者」であるということは何を意味しているのか

もう一つは、この立場が極めて不明確で多くの問題を抱えているにもかかわらず、なぜ「自然主義」がかくも魅力的なのか


「『自然主義』の中身」


今日、最も一般的な「自然主義」の使われ方は以下のようになるだろうか

哲学者は――形而上学、認識論、心の哲学、言語哲学について書いている大多数の哲学者がそうだと思われるのだが――彼らのエッセイや自著の目立つところで、自分は「自然主義者」であること、あるいは擁護されるべきは「自然主義的な」見方であることを宣言している

この宣言は、スターリンのソ連で書かれた論文における、ある見方はスターリン同志のものに一致するという宣言と似ている

つまり、「自然主義的」でないもの(スターリン同志の見方に一致しないもの)はすべて受け入れ難いものであり、正しいものではあり得ないことになる

それから一般的な特徴として、「自然主義」が定義されていないことが挙げられる


唯一つの例外として、ボイドギャスパートラウトの『科学の哲学』がある

この本の用語説明に、自然主義は以下のように定義されている
すべての現象は自然法則に支配される、あるいは・そして自然科学の方法があらゆる研究領域に適用されるという立場
しかし、この定義は「選言的」であり、2つの異なる要素がある

我々は2つの「自然主義」の定義を提示されているのである

この点について考えてみよう


最初の定義によれば、自然主義者とは「すべての現象は自然法則に支配される」と信じる哲学者のことである

これは何を意味しているのだろうか

次の「現象」について考えてみよう

普段は明快な文章を書く人が、理解不能のパラグラフを書いたとする

この定義による自然主義者は、この現象は自然法則の支配下にあると考えなければならない

これが意味するところは明確だろうか

この難解な文章を書いた人は、もちろん自然法則を侵してはいない

もし自然主義者であるために必要なことが自然法則を侵す現象はないと考えることだけだとすれば、「自然主義者」でない人はいるだろうか

あるいは、自然主義者は「難解」という概念を含む自然法則があると信じることを求められるのだろうか


他方、第2の定義によれば、自然主義者とは「自然科学の方法がすべての研究領域に応用可能である」ことを信じる哲学者になる

それでは、自然科学の方法を「文章解釈」に適用するとはどういう意味だろうか

あるいは、文章解釈は「研究分野」ではないというのだろうか

もし、すべてのこと(例えば、論理実証主義者がかつて唱えたように歴史は科学である)には物理学に似た科学があると信じることが関係しているとするならば、なぜそのようなあり得ない見方を採らないことがまともとはされないのだろうか


一見すると、非常に多くの哲学者がその意味するところをはっきり説明することなく、自身を「自然主義者」と堂々と宣言するということは、「自然主義」には明確な中身が全くないということを示唆しているのかもしれない

しかしその考えは間違いで、わたしが批判しているこの言葉の科学的理解における「自然主義」には中身がある

しかし、不幸な言葉である「自然主義」は、その中身を明らかにするのではなく、隠してしまうのである

それが何なのかを知るためには、科学的自然主義の「敵」が何を擁護しているのかを考えなければならない

彼らが擁護しているのは勿論「超自然」でも「オカルト」でもない

ただ「自然主義」は、敵が擁護するのはこれらのものであると示唆するのではあるが、、、、

彼らが実際に擁護しているのは寧ろ、「概念的多元主義」なのである

それでは「概念的多元主義」とは何なのか












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