パットナム(1926-2016)さんを続けようと思ったのだが、議論がわたしの興味から外れてきたようだ
付いて行けなくなったと言った方が正確かもしれない
これが分析哲学の議論なのだろうか
好みの哲学者に入るかと思ったのだが、現段階では見込み違いであったと言わざるを得ない
その代わりというわけではないが、トマス・ネーゲル(1937- )さんの言葉に耳を傾けてみた
我々はこの世界に投げ出されており、その状態を外からと内から、客観と主観で理解しようとしている
どちらか一方だけでは駄目で、その兼ね合いが問題である
例えば、この世界はすべて客観的に理解できるとする科学主義のような観念論は、我々を含めた世界の理解を貧しくするだけだろう
なぜなら、それ以外のものを捨象してしまうからだ
真理の探究には、想像力以上のものが必要になる
そこで求められるのは、他の可能性を、理想的にはなくなるまで、徹底的に排除すること
それだけに打ち込む状態にならなければならないということなのだろうか
また、こうも言っている
哲学を実際にそうであるより浅く難しくない何かに変えようとする誘惑が常にある
哲学は極めて難しいテーマであり、創造的な成果は稀にしか成功しないという一般的な規則に例外はないのである
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