2022年4月9日土曜日

ヒラリー・パットナムの「科学と哲学」5

























「科学は哲学を必要としているのか」


哲学が科学と同一視されるべきではないということは、科学と哲学の密接な関係を否定するものではない

科学がやることは実験結果を予測することであるという実証主義者の考えは、ある科学者には未だに一般的だが、それは常に基礎となる重要な問いを避けることに繋がる

例えば、量子力学を理解するという問題がある――すなわち、我々の最も基本的な物理理論がうまく働くために、物理的現実はどのようになければならないかという問題である――という認識が広まっているが、その認識はニールス・ボーアの「コペンハーゲン解釈」がすべての問題を解決したという主張によって長く遅らされた

しかし、ボーア・バージョンの「コペンハーゲン解釈」は、人間の心は量子の宇宙がどのようになっているのかをおそらく理解できないだろうという曖昧な哲学的主張にしかならなかった

従って心は、古典的な物理学――すなわち非量子力学――の言葉で予測を記述可能にするために量子力学を使う方法を我々に語ることに専念すべきなのである

わたしが最初に「空気」が変わったことに気付いたのは、1975年頃、マレー・ゲルマンが講演で「量子力学のコペンハーゲン解釈というものは存在しません。ボーアが物理学者を洗脳したのです」というのを聞いた時だった


物理学者が量子力学を単なる予測マシンとして見ることを止め、量子力学の問題に真剣に取り組み始めた後、多くの新しい道が開けた

ひも理論量子重力理論客観的収縮理論などがその一例である

ジョン・スチュアート・ベルの有名な定理は「観測問題」に関する我々の理解を変容させたが、もしベルが量子力学の意味について、深いが当時は極めて人気のなかった興味を持つことがなかったならば証明できなかっただろう


宇宙論においては不幸にも、一般相対性理論の意味について問うことに対する実証主義者の侮蔑が復活している

しかし、物理学の理論は単なる形だけのシステムではないと認識していたアインシュタインの影響で、多くの天体物理学者は宇宙の時空の性質などを理解しようとしている

スティーヴン・ワインバーグが強く主張しているように、ある時にはこの理論が有効であり、またある時には他のものを使う方が有効であり、どちらが正しいのかと問うことに意味はない

基礎物理学のレベルでは、実証主義者が見たと思った形而上学と物理学の明確な乖離は批判に耐えない

物理学と形而上学が相互に作用、浸透した時、両方が最も繁栄する

それは、両者がセラーズの問い「可能な限り広い意味での「もの・こと」が、可能な限り広い意味でどのように結び付いているのか」を追求する時である











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