今日は出足から予定が狂ってしまった
函館2日目は一応の腹積もりがあったのだが、市電で乗り換えるべきところを乗り越してしまった
しかし、全く慌てない
その先には何か別の発見があるはずだと思っているからである
寧ろ、そういう時の方が面白い
まさに生物がそうであるように、誤謬は発明の母なのである
ということで、電車を降りると像が見えたのでそちらに歩みを進めた
高田屋嘉兵衛(1769-1827)の像であった
その先に坂道があるので登っていくと、突き当りに函館護国神社がドンと構えていた
その境内には第2次大戦中に全国から援農として参加した多くの若者の記念碑が建っていた
まさに国民総動員状態だったことが分かる
さらに同じ高さの道を進むと函館ハリストス正教会があったが、現在修復中とのことで完全に布に覆われていた
残念だが、年内は見られないようである
その横に函館聖ヨハネ教会があった
坂道を降りると、ドイツ風の建物が見えたので近づくと、その昔聞いたことがある懐かしい名前が現れた
カール・レイモン(1894-1987)さんのお店であった
記念にハムを買い、いつものように想定外となった今日の前半を振り返ることにした
ここまでは、レイモンさんのお店でアップ
午後一番は市の文学館に寄ってみることにした
そのような文化的な土壌があったのだろう
2階は啄木の原稿や資料(森林太郎への手紙も数通展示されていた)などで独占されていた
その空間をこちらが独り占めすることになった
いろいろなものを目にしているうちに、少年あるいは青年時代に読んでいたことを思い出した
北海道のいろいろな町を放浪して過ごした寂しげな若者として、あるいは
晩年と言ってもまだ20代半ばであるが、その思想についても記憶に残っている
記念に歌集を手に入れた
また、啄木に「雲は天才である」という小説があることを初めて知った
なぜこのタイトルに目が行ったかというと、わたしのパリ生活は雲を見て過ごしたと言っても過言ではなく、そこから「空は芸術家である」と綴っていたからである
空は、雲が描く作品のキャンバスであるといった意味である
この小説はまだ読んでいないので、啄木がどういう意味を込めたのか知りたいものである
亀井勝一郎で印象に残ったのは、一枚の色紙であった
1964(昭和39)年に芸術院賞を貰った後の式典で、昭和天皇からこう言葉を掛けられたという
「たくさんの本を書いているようだが、どれが中心なの?」
この言葉を聞き、狼狽したというようなことが書いてあった
1階の展示を見て感じたのは、現世的なものの虚しさだろうか
生きている間にいろいろな栄光を得た人もいたようだが、今にして見れば振り返る人もいない
これまさに、マルクス・アウレリウス(121-180)の世界である
終わってみると1時間半ほどだったが、殆ど永遠に感じられた
これは至福と同義である
文学館の向かいにこの建物があった
そこから市電で五稜郭に向かった
周りに何もないのかと思って行ったが、公園駅周辺は商業センターのようになっていて驚いた
そこから緩い坂道を下っていくと五稜郭タワーが目に入ってきた
まず全体を見渡すことにした
展望台に出て気づいたことは、高所恐怖症になっていることであった
窓の近くまで行けないのである
これには本当に驚いた
展望台の展示で、高松凌雲(1837-1916)という医者を知った
下の写真にあるような考えを持ち、実践した人間がいたことを知ることができたのは幸いであった
展望台は早々に切り上げ、五稜郭中央にある箱館奉行所の方に向かった
今回の滞在は、本当に久し振りに頭の中を空にして過ごすことができた
これまでは、抱えているものが何か常にあるので、完全には解放されていなかったのである
今の状態はフランスに渡った当初の内的世界に似ている
そのせいかどうか定かではないが、ブログの纏め方も当時のものに似ているように感じる
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