暴風雨一過、昨日が嘘のような素晴らしい朝を迎えた
庭も緑が目に沁みるようになってきた
緑がこれほど味わい深く感じられるのは、今年が初めてではないだろうか
空に面白い形が現れていたので、カメラに収める
すでに言ってきたことだが、空は芸術家なのだ
さらに言えば、自然は・・・となるだろう
乗り掛かった舟なので、今日もツルゲーネフを読むことにしたい
卑俗なものの出現はしばしば生活に益をもたらすことがある。それはあまりにつよく張られた絃をゆるめ、思いあがった気もちや、おのれを忘れがちな感情をしずめるものである。こういう感情も卑俗なものととなりあわせのものだということを、思い出させるからである。
ーーくどいようですが、ご不自由の点はおゆるし願います。もっとも、パイプにたばこをつめるくらいはできますので、あなたはたばこをおあがりでしたな?
ーーぼくはたいてい葉巻きをすいますーーアルカーヂイは答えた。
ーーそれは一番よろしいですな。わたしも葉巻きの方がすきですが、こういうへんぴな土地では、なかなか手に入りませんのでな。
ーーこぼすのはもうたくさんですよーーとバザーロフはまたさえぎったーーそれよりそこの長椅子に腰かけて、顔を見せてくれませんか。
・・・
ーーこぼしているわけじゃない!ーーとヴァシーリイ・イヴァーノヴィッチは言ったーーこれ、エヴゲーニイ、考え違いをしてはいかん。わしはお客さまにむかって、こんな片田舎に暮らしておりますなどと、泣きごとを言って、同情してもらおうと思っておるわけではない。それどころか、わしは、思索をする人間にとっては片田舎もなにもありゃせん、と思っている。すくなくとも、わしはできるだけ、いわゆる体にこけを生やさんように、時世におくれんように努めておるよ。
ーーまあ、一つうちの庭がどんなになったか見てくれ。わしが自分で木を一本一本植えたんだよ。果樹もあるし、木いちごもあるし、それに薬草はなんでもある。いやお前たちがどんなにうまいことを言っても、パラケルススのいったことは不滅の真理だよ。in herbis, verbis, et lapidibus.(草と木と石の中に)。
(金子幸彦訳)
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