これまでにも感じ書いてきたが、日本から見るヨーロッパは美しく見える
昨日、プラハの映像を見ながら、日本で思い描くヨーロッパも悪くないとの考えが浮かぶ
日本に落ち着くことになったことも、その思いを強くした原因のようだ
もう一つ楽しみが増えたことになる
今日もツルゲーネフの言葉を少しだけ
ーーそうだーーとバザーロフは言い出したーー奇妙な動物だよ。人間なんて。ここで「親父たち」が送っているような、浮世ばなれした生活を、はたで見ていると、これほど結構なことはなさそうに思われる。飲んだり食ったりして、自分はこの上なく正しい、この上なく道理にかなった行いをしている、と考えている。ところがそうじゃない。ふさぎの虫にやられてしまうんだ。そこで人間を相手にしたくなる、たとえ悪口を言うんでもいい、とにかく人間を相手にしたくなるんだ。
ーー一つ一つの瞬間に意味があるように、そういう風に生活をいとなむことが必要なんだーーとアルカーヂイはふかく考えこんだ様子で言った。
ーーそりゃそうさ! 意味あることは、たとえまちがっていても、美しいものさ。意味のあることとなら和解ができる。・・・ところが、くだらないいざこざというやつ・・・こいつがこまるんだ。
ーーいざこざなんてものは、人間にとって存在しやしない、そんなものを認めようとさえしなければね。
ーーふむ・・・君は分かりきったことを裏から言ってるんだ。
ーーなんだって? 君はなんのことをそんな風に言っているんだね?
ーーこういうことだよ、たとえば啓蒙は有益であると言えば、それは分かりきった文句だ。ところが、啓蒙は有害であると言えば、それは分かりきったことを裏から言っていることになる。ちょっと見ると、この方がすこししゃれているようだが、本当はどっちもおなじことなんだ。
ーーしかし、真理はどこに、どっちのがわにあるんだ?
ーーどこにって? ぼくもこだまがえしに言おう、どこに?
(金子幸彦訳)
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