2021年6月9日水曜日

ツルゲーネフの言葉から(8)







 

 

 

 

 

 

 

 

これまでにも感じ書いてきたが、日本から見るヨーロッパは美しく見える

昨日、プラハの映像を見ながら、日本で思い描くヨーロッパも悪くないとの考えが浮かぶ

日本に落ち着くことになったことも、その思いを強くした原因のようだ

もう一つ楽しみが増えたことになる

 

今日もツルゲーネフの言葉を少しだけ

 

ーーそうだーーとバザーロフは言い出したーー奇妙な動物だよ。人間なんて。ここで「親父たち」が送っているような、浮世ばなれした生活を、はたで見ていると、これほど結構なことはなさそうに思われる。飲んだり食ったりして、自分はこの上なく正しい、この上なく道理にかなった行いをしている、と考えている。ところがそうじゃない。ふさぎの虫にやられてしまうんだ。そこで人間を相手にしたくなる、たとえ悪口を言うんでもいい、とにかく人間を相手にしたくなるんだ。

ーー一つ一つの瞬間に意味があるように、そういう風に生活をいとなむことが必要なんだーーとアルカーヂイはふかく考えこんだ様子で言った。

ーーそりゃそうさ! 意味あることは、たとえまちがっていても、美しいものさ。意味のあることとなら和解ができる。・・・ところが、くだらないいざこざというやつ・・・こいつがこまるんだ。

ーーいざこざなんてものは、人間にとって存在しやしない、そんなものを認めようとさえしなければね。

ーーふむ・・・君は分かりきったことを裏から言ってるんだ。

ーーなんだって? 君はなんのことをそんな風に言っているんだね?

ーーこういうことだよ、たとえば啓蒙は有益であると言えば、それは分かりきった文句だ。ところが、啓蒙は有害であると言えば、それは分かりきったことを裏から言っていることになる。ちょっと見ると、この方がすこししゃれているようだが、本当はどっちもおなじことなんだ。

ーーしかし、真理はどこに、どっちのがわにあるんだ?

ーーどこにって? ぼくもこだまがえしに言おう、どこに?

 

 (金子幸彦訳)

 




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