2022年9月13日火曜日

コリングウッドによる自然(10): ピタゴラス学派(3)

























今日は、模倣(ミメーシス)と分有(メテクシス)がテーマになっている

数学的形相の内在性と超越性について、アリストテレス(384 BC-322 BC)は『形而上学』の中で面白いことを言っている
ピタゴラス学派の人びとは、存在者は数を「模倣する」ことにより存在すると言ったが、プラトン(427 BC-347 BC)は言葉を換えて、「分有する」ことにより存在すると言っている

すでに見たように、初期ピタゴラス学派は形相の内在性を唱え、プラトンはそれを超越的なものに仕上げていった

著者が「面白い」と言ったのは、「模倣」は超越を意味し、「分有」は内在を意味するからである

超越的言語を使えば超越性だけを意味し、内在的言語を使えば内在性のみを意味するというのは、行き過ぎた単純化である

超越性と内在性は相互に含意し合っているため、ミメーシスには内在性が、メテクシスには超越性が含意されているのである


ある事物がある形相を分有する(分け前に与る)ということは、法律上の概念である「共同所有」の比喩である

例えば、あるバラが赤の分け前を持つということは、バラの中に赤が内在することを意味している

しかしこのことは、このバラにはない他の赤が存在し、他のバラの中にあること、そして赤と言われるものがバラとは独立に存在することを含意している


また、ある事物がある形相を「模倣する」という場合、その形相は事物の外に在ることになる

しかし、その事物と形相は何らかの共通するものを持っていることを含意している

なぜなら、共通の何かがなければ、他のものを模倣できないからである

内在性が超越性を意味するのと同じように、超越性も内在性を意味するのである

<この論理の流れについては、もう少し考える必要がありそうだ>










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