2022年9月3日土曜日

コリングウッドによる「現代の自然観」の帰結






















歴史とのアナロジーから生まれた「現代の自然観」の特徴を列挙しておきたい


1)ギリシアにおいて、自然の変化は根本的に循環的であるとされた

しかし現代においては、歴史が2度と繰り返さないように、変化は循環的ではなく前進的である

2)自然は機械ではない

ルネサンス期に自然は機会であると考えられたが、進化という概念を導入したため、機械とはなり得なくなった

進化するものには変化が組み込まれており、機械は完成され閉じたものだからである

3)機械論的自然観が追放した目的論を自然科学に再導入することになった

機械論に従えば、「目的因」が現れるのは機械の創造者との関係を論じる時だけで、それは排除されなければならない

進化論的自然科学にとって、自然における一切のものは、発展の過程を維持しようと努めている

そこに向けて乗り出しているのである

4)実体は機能に解消される

機械論的自然科学においては、構造と機能は別物であり、機能の前に構造がなければならない

しかし、歴史における認識においては、構造だけを語っても意味を成さない

あるいは、構造は機能と複合的に構成されている

進化論的自然科学においても同様に、構造は機能へと解消されることになった

5)極微空間と極微時間

構造の機能への解消は、自然科学に大きな変化を齎した

① 自然物は、ある種の自然的機能に解消される

② これらの機能は運動だと考えられている

③ あらゆる運動は、空間と時間をとる


この中の議論で興味深かったのは、どのような空間と時間を採用するのかによって、観察されるものが異なってくるということ

これは歴史にも科学にも当て嵌まる当たり前のことだが、しばしば忘れられている

科学は人間がやっているので、その観察結果は人間中心的になる

生きている空間も時間も異なる他の生物は、全く違う世界を見ている可能性が高い

また、人間が同じ対象を扱っても、どのような時間と空間にその目を置くのかによって見え方が異なってくる

その点で言えば、現代は極めて限られた時間と空間でしかものを見なくなっている

歴史的近視眼と言われるものだ

それは、考える時間も短いので記憶にも残らず、反省材料にもなり得ず消えていく可能性がある









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