今朝は久しぶりのカフェの後なので、余韻を味わいながらゆっくりスタートした
屋外に出て、風と人の流れを感じながら読む『ティマイオス』もなかなか良かった
今日は魂の病気だが、それは身体的条件を通じて起こる
まず、「魂の病気」とは「理性を欠いていること(愚かさ)」で、それには2種類がある
一つは「狂気」であり、もう一つは「無知」である
また「快」「苦」が過度になると、病の中でも最大のものとなる
さらにまた、酸っぱい粘液や塩辛い粘液、苦くて胆汁質である体液が内部に閉じ込められ、自分の出す蒸気を魂の運行に混じらされると、魂のありとあらゆる病気を作り出す
「気難しさ」「意気消沈」、「向こう見ず」「臆病」、「物忘れの早いこと」「物覚えの遅いこと」など
ここで、身体と精神が健全性を維持するために、この両者をどのように面倒を見るのかを考えてみたい
善いものはすべて美しく、美しいもので均斉の取れていないものはない
したがって、善美の性質を具えようとすれば、均斉の取れているものではければならない
「健康と病気」「徳と悪」を考える場合、魂と身体の間の釣合い以上に重大なものは存在しないのだが、我々はそれについて考えてみようともしない
魂の方が強力で偉大なのに、それを乗せる体の方が弱すぎる場合、魂が激怒すると身体全体を揺り動かし、病気でいっぱいにする
一方、過ぎた身体が弱い精神と共生する場合、我々の2つの欲求である食欲と最も神的な知を求める欲求のうち、前者が優勢になり、魂の方は最大の病である「無知」に至る
これらの病気に対処するには、体と魂の均衡を保つことである
つまり、精神面の激しい訓練に従事する人は体育にも親しむこと、反対に体づくりに励んでいる人は音楽や文芸、そして「哲学」にも携わり、魂に運動を与えてやらなければならない
ところで「動き」だが、最も優れているのは自分自身の中で自分自身によって動かされるようなものである
2番目に良いのは、乗り物で行く場合に振動を通じて与えられる動きである
第3の動きは、医薬(下剤)を用いて浄化する場合だが、これは避けるべきものである
なぜなら、大きな危険性がない限り、病気は医薬によって刺激されるべきではないからである
それぞれの生き物は運命によって割り当てられた生命を持って生まれてくるものである
それは、生き物の三角形の寿命を越えては生きることができないように構成されているからである
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