早朝、どんよりとした曇り
暫くすると雨が降り出し、遠くに雷光と雷鳴が聞える
外を観ながら流していたYoutubeから空海の話が聞えてくる
以前に聞いたことがある内容だったので日付を見てみると2005年となっている
空海について書いた記事を思い出し、調べると2006年の正月になっている
その時はこの言葉に反応したようだ
「生まれ 生まれ 生まれ 生まれて 生の始めに暗く 死に 死に 死に 死んで 死の終はりに瞑し」
『秘蔵宝鑰 』(ひぞうほうやく)以下、このように続いている
この言葉を聞いた時、すぐにウラジーミル・ナボコフの自伝の最初の文章を思い出す
『ロリータ』の著者だ
"...our existence is but a brief crack of light between two eternities of darkness. Although the two are identical twins, man, as a rule, views the prenatal abyss with more calm than the one he is heading for."
Vladimir Nabokov, Speak, Memory: An Autobiography Revisited
(われわれの存在は二つの永遠の暗闇の間にあるほんの一瞬の光にしか過ぎない。その暗闇は双子のように違いはないのだが、一般的に人はこれから向かう暗闇よりは生まれる前のそれを心安らかに見ることができる。)すでに全ページが黄色に変色した1987年版を開いてみると、次の書き込みがあり楽しくなる
「1999年10月30日土曜、衛星放送。早坂暁氏によれば、『生まれる前も暗く、死んだ後も暗い』 というようなことを空海も言っている」ショーペンハウアーの『知性について』のなかにも次のような表現がある
「それで、ただわれわれの一生が短いだけではなく、われわれの認識も誕生以前にさかのぼったり、死後のかなたを見晴らしたりすることができずに、全くこの短い一生の間に視野を限られている。してみれば、われわれの意識は、一瞬の間だけを夜陰を明るくする稲妻のようなものである」一瞬の生 LA VIED'UNE FRACTION DE SECONDE (2006.1.3)
今回反応したところは、少し違った
「虚空尽き 衆生尽き 涅槃尽きなば 我が願いも尽きん」夢枕獏氏の解説はこうだ
「宇宙が消え、生きとし生きるものが消え、涅槃が消えた時、自分の願いは尽きる」という意味だが、空海はそれはあり得ないと考えていたので、彼の目指すところを永遠に続けるという意味になる。したがって、彼の精神は今も宇宙に満ち満ちている。もう一つ反応したのは、儒教と道教と仏教の違いを『聾鼓指帰』(ろうこしいき)で語っているところ
空海はこう見ていた
儒教は人間社会という枠の中の話で、道教は個人レベルの話。しかし、仏教は個人を超えて、他の人や宇宙にも考えが及んでいる
空海の思想の中にストア哲学にも通じる世界観があるように感じた
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