2023年1月3日火曜日

コリングウッドによる自然(74): 現代の自然観(16)新しい物質論(5)





























 James Jeans (1877-1946)




年は明けたが、昨年からのつづきになるコリングウッド(1889-1943)を読むことから始めたい



もし、電子や光子がある時は粒子のように、またある時は波動のように振る舞うとすれば、状況は深刻だろう

しかし、このような行動の違いを支配している法則がある

イギリスの物理学者ジェームズ・ジーンズから引用したい

電子や光子は、空間の中で自由に行動しているときには粒子として振舞い、物質に出会うと波動として振る舞う

さらに、こう言っている 

このようなすべての場合に、どのようにして粒子や波動としての図が同じ現実の二つの側面であるのかを示す完全な数学的理論がある。光は時に粒子として時に波動として振る舞うが、一度に粒子と波動であることはない。それは電子と光子についても同じである。

ジーンズが言っている数学理論とはハイゼンベルク(1901-1976)の波動力学のことだが、わたしの理解を完全に超えている

ただ、その形而上学だけには関心がある

その視点から見れば、この理論は理解不能とは程遠いのである


精神と生命だけではなく物質も内在的、本質的に活動だとする現代の見方を真剣に受け取ることにしよう

また、物質世界を構成する活動とは空間に分布し、時間の中で展開するとする見方についても真剣に受け止めることにしよう

そうすると、我々が物質の粒子と呼ぶものは、活動の中心ということになり、それは同様の他の中心と空間的に関係している

その活動は必然的に、2つの特徴を持っている

第一はそれ自身との関係において、そして第二には他の所謂粒子との関係において

それ自身との関係について言えば、自己発展的で自己を維持する過程である

それは、自己充足的で永続的な何か、実体についての古い形而上学的概念を適応できる何かである

この自己を維持する活動においては、現代物理学の電子をライプニッツ(1646-1716)のモナド(単子)になぞらえることができるかもしれない

他の電子との関係においては、外から他の電子に加えられる活動であり、環境における乱れに過ぎなくなる

電子とはそれがするところのものであり、その実体は活動に過ぎないことを思い出せば、電子の実体が2つの性質を持つに違いないことを理解できるだろう










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