今年の初めはまだ翻訳をやっていた
もう大昔のような気がしていたが、まだ今年のことだったことに驚く
ここ数年はフランス人科学者の思考の跡を日本語に移す作業に追われていたことになる
今春、翻訳の作業が一段落した後、自らの思索の跡を纏めることが新たなプロジェになった
まだ全貌は見えていないが、年の瀬までにはその概略が見えてくるように努めたいものである
わたしの場合、広い思考空間が必要になるので、この秋はそれ以外の活動を控えることにした
実際のところ、いつ終わりになるのかは分からない
自分が終わりにしてもよいと思った時が終わりになるのだろう
昔の文系の研究者の中にはキャリアが終わる頃に博士号を取る人が稀ではなかったと聞く
以前はよく分からなかったが、今ではそのこころが理解できるようになっている
自らの思索の跡を纏められるとのこと、楽しみに待っております。
返信削除村上春樹氏は、長いものを書くときに、他の仕事は断って取り組む、井戸にもぐる感覚・・・というようなことをおっしゃっています。そのぐらい集中が深まるということでしょうか。また、最近、五嶋みどりさんがバッハゆかりの城?でバッハの無伴奏を弾く映像に偶然いきあたり、その一心に弾く姿に心奪われ、己もそのように生きてみたいものだと思うようになっているところです。
コメントありがとうございます。
返信削除書くことに関しては素人ですので、自らの思考空間にどっぷり浸るという感覚がどうしても必要になるようです。それから、どのようなものが現れるのか自分でも分からないところがありますので、その姿が見える時が楽しみでもあります。それまでは苦しみの連続だとは思いますが、。