『免疫学者のパリ心景』の最終章は「『現代の超克』のためのメモランダム」となっている
そのエッセンスは、エピグラフとした2つの文章の中に凝縮されている
1つは、ヘーゲル(1770-1831)の次の言葉である
「真理は知識の中にある。しかし我々は思考(ナハデンケン)するかぎりでのみ真なるものについて知るのであって、我々が歩いたり、立っていたりするかぎにおいて、そうなのではない。真理は直接的な知覚や直観においては認識されない。それは外面的感性的直観においても、また知的直観においても同様である。・・・ただ思惟の努力によってのみ真理は認識される」(武市健人訳)
真なるものを知るためには、日常生活の中にいるだけでは駄目で、思惟しなければならないと言っている
もう1つは、ハイデッガー(1889-1976)の言葉である
「このように、それぞれが正当で不可欠な計算する思考と瞑想する思考という2種類の思考がある。しかし、人間が思考から逃げていると言う時に我々が見ているのは、この2番目の思考である。・・・瞑想する思考は時に大変な努力を要し、常に長い訓練が必要になるのである」
このように、ハイデッガーは2つの異なる思考があることを指摘した
1つは、科学の中で行う思考で、彼は「計算する思考」と言っている
もう1つは、「瞑想する思考」である
これらの対比に反応したのは、わたしが「意識の3層構造」に気が付いたからである
復習すれば、第1層は日常生活の意識の層、第2層は仕事(科学)で使われる事実を確認するだけで終わる層、そして第3層が領域を超えた瞑想的思索が行われる層である
その上で、第3層まで入らなければ真に考えたことにならず、真理にも辿り着けないと結論した
これは先達の思索の跡とよく重なり、わたしの真理を超えてより普遍的な真理になると考えている
わたしにこの章を書かせたものは、現代に生きる我々にこの思考が著しく欠如しているという観察であった
つまり、「現代の超克」のための重要なヒントは、真理に至るために思惟しなければならず、そのためにはやり方があるということである
その成否は、日常生活、職業生活から離れた時間をどれだけ確保できるのかにかかっている
この問題について考えていただきたいというのが、この章の大きなメッセージであった
ところで、免疫から生の哲学に向かうエッセイの校正作業が始まった
春から眠っていたものなので、新鮮に感じる
さらに明快なものになるよう努めたいものである
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