今日から、しばらくお休みしていたコリングウッド(1889-1943)の議論に戻ってみたい
これから始まるのは『ティマイオス』の宇宙論で、これまでこの本を読んでいたのはその準備運動であった
この本はプラトンの自説を展開したというよりは、紀元前5世紀後半のピタゴラス学派の教説を述べたものだと考える学者もいるようだ
いずれにせよ、コリングウッドはその内容の説明を始める
まず、感覚的に捉えられる世界は、神によって創造された有機体あるいは動物だと考えられていること
ここにはイオニア思想が表れているが、ピタゴラス(582 BC-496 BC)による物質から形相への転換が見られる
上記学者は、『ティマイオス』の宇宙論は物質抜きで、すべては純粋な形相に解消されたとまで断言しているという
コリングウッドは、それは行き過ぎだと考えている
ただ、『ティマイオス』の物質は幾何学的形相を受け入れることができるもので、それは物質から超越して一つの叡智的世界を構成している
この叡智的世界こそが、神が自然を創造する時の手本とした永遠不変のモデルであった
叡智的世界は、様々な形相が弁証法的関係の力により動的に関係しているため、非物質的有機体あるいは動物であり、生きているとされる
ただ、その世界には時空間がないので、運動により生きているのではない
それでは一体、どのようにして時空のある自然界の特徴を創り出すのだろうか
まず、空間から考えてみたい
『ティマイオス』における空間は、叡智的世界の特徴に照応しない
空間あるいは物質(形相を受け入れるもので、空間と同一視している)から宇宙論を始めている
空間とは、そこから複製が創られるところであり、神が空間を創ったということを示そうとはしていない
時間に関しては、神の創造行為の前提ではなく、神の創造物の一つである
自然と同時に存在することになったものである
従って、創造は時間内の出来事ではなく、永遠の行為とも言えるものである
時間は「永遠の動く影」として創造されたという難解な表現がある
第1に、時間は自然的物質的世界の特徴で、通り過ぎては消えて行く
第2に、この世界の一切のものは叡智的世界の複製であるとすれば、そこには消え行く時間に照応する特徴がなければならない
それは、時間の不在や無限などではなく、変化も消滅も含まない「永遠」であるという
永遠とは、それ自身の存在するあらゆる時間に、それ自身に必要な一切のものを含んでいるものである
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わたしも興味を持っている「永遠」
分かったようなつもりになっていたが、よく分からない
もっとじっくり考えれば見えてくるのだろうか
あるいは・・・
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