2022年10月2日日曜日

第7回サイファイ・フォーラムFPSS、盛会のうちに終わる





昨日は第7回サイファイ・フォーラムFPSSを開催し、盛会のうちに終えることができた

当日数名の方が参加できなくなったが、お忙しいところ多くの皆様に参加していただいた

改めて感謝したい


プログラムは以下のような内容であった

1)矢倉英隆: シリーズ「科学と哲学」① ソクラテス以前の哲学者

2)渡邊正孝: 変性意識と無意識

3)岩永勇二: 『免疫学者のパリ心景』発刊記念トークセッション!

ここでは、個人的に印象に残ったことを中心に記したい


1)今回から、コロナ前に武田克彦氏からいただいた助言を取り入れ、会の一貫性を保つために、シリーズでお話をすることにした

テーマは「科学と哲学」とし、科学を哲学者の思索の跡から考え直すことにした

それは必然的に哲学史を見直す旅になると考えたからである

また、その過程が科学と哲学の新しい関係を探る切っ掛けとなることも願っている

今回は、シリーズを始めるにあたっての考え方を示した後、ソクラテス以前の哲学者の思索を取り上げた

具体的には、タレス(c.624 BC-c.546 BC)、アナクシマンドロス(c.610 BC-546 BC)、アナクシメネス(585 BC-525 BC)、ピタゴラス(c.570 BC– c.495 BC)が考えたことを振り返った

ここで問題にされたことは、それまでの流れとは異なる、一つの要素でこの世界の根源を考えようとした背後にはどのようなことが起こっていたのかという疑問である

もう少し明確に回答できるよう、さらに調べる必要があると感じた



2)渡邊氏は変性意識と無意識について、これまでの研究成果も交えながら、詳しく説明された

変性意識は、薬物、睡眠、催眠、感覚遮断、脳の電気的あるいは磁気的刺激により、意識が変容した状態を言う

その中で、夢が最も身近な変性意識だという

例えば、明晰夢というのがあるが、これは自分が夢を見ているという意識を持ち、夢の内容を変容することができるもの

明晰夢の前半は最近経験しているが、そこから先にはまだ至っていない

それから瞑想的状態には日々あるので、ある意味、日常的に日常から離れた意識状態にあるのかもしれない

これが長期的にどのような影響を及ぼすのか、興味深いところである

変性意識の中にはこの他に、宗教体験、臨死体験、体外離脱体験などがあるが、まだ体験する機会はない


もう一つの無意識であるが、呼吸、歩行、運転などは無意識に行われているとされる

また、不注意盲(何かに注意を向けることで、本来は見えているはずのものが見えない現象)や変化盲(見ているはずなのだが、途中で起こっている変化に気付かない現象)がある

これらは自分でも体験する現象である

興味深かったのは、特定の問題に集中せずに「心を彷徨わせる」マインドワンダリングの時に独創的アイディアが生まれるということ、そしてそこに関与しているのがデフォルト・モード・ネットワークであるという指摘であった

これもわたしの日常に当て嵌まるが、独創的アイディアが生まれるかどうかは別にして、いろいろな繋がりがよく見えるようになると同時に、精神状態を平静に保つことができるようになったように感じている

以前にこのテーマでエッセイを書いているので、以下に貼り付けておきたい


また、時間に追われている現代人はマインドワンダリングするための暇もなくなっている可能性がある

それが事実だとすれば、創造的な考えが生まれる可能性が削がれていることになる

もう一つ興味深かったのは、「プライミング」(先行する事柄が後続する事柄に、影響を与える)や「ナッジ」(何気ない遠回しな表現により、ある行動や意志決定に導く)が現代社会のいろいろなところに浸透している可能性であった

つまり、我々は日常的に何かに無意識の内に操られて生活していることが示唆される

それを回避することができるのかどうかは分からないが、注目すべき問題だろう



3)岩永氏は『免疫学者のパリ心景』の編集を担当されたところから、本書の特徴を中心に話を進められた

文章が美しいという声が聞こえたが、自分では全く分からない

ただ、注意している点として挙げたのは、自分の頭の中にあるイメージをできるだけ正確に言葉に移(映)し、文章内あるいは文章間の論理の流れをできるだけ自然になるようしていることくらいである

そこから浮かんだ考えは、正確さや論理性は美しさに繋がるのではないかということであった


批判として出ていたのは、現在の問題を指摘するだけで、それについての明確な考えが書かれていないという点

それと関係するのだろうが、本自体のメッセージが弱いという点などである

これらの指摘は当たっているように思う

その原因として、現在の問題についての考えが煮詰まっていないことが挙げられる

それから、訴えかけるようなメッセージ性を嫌うところがどこかにあるような気がしている

いずれにせよ、これで終わったわけではないので、今後に向けて思索の機会をつくることも考えていきたいと思わせてくれる会となった



もう少し詳しいまとめは、後ほどサイファイフォーラムFPSSのサイトに掲載する予定なので、参照いただければ幸いである








































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