今月もあっという間に纏めの時期になった
とは言うものの、実感ではかなりの長さである
今月は次のようなことがあった
1)エッセイ集『免疫学者のパリ心景』(医歯薬出版)の書影が届いた
このデザインは原条令子さんによるものとのこと
カバーにはフランスの香りが漂い、本体の表紙には静けさがどこまでも広がっている
そのイメージはわたしが想像していたところを超えるもので、別の世界に運んで行ってくれる
読者にも広がりが出ることを期待したい
先日、本書にも出てくるフランスの友人に書影を送ったところ、素晴らしい表紙でコクトーを想起させるとの返事が届いた
これは原条さんの意図でもあったと伝え聞いていたので、なるほどと納得
紙の手触りなども含め、実物を早く味わってみたいものである
是非お読みいただき、何かを感じ取っていただけるとすれば幸いである
2)免疫に関するエッセイが出版されることになった
このエッセイは科学から哲学に至るわたしの歩みの全過程に関わるもので、長い瞑想の後にゆっくりとエネルギーを込めて書かれたものである
同時にこれは上記『パリ心景』と響き合っており、そこでも紹介した「科学の形而上学化」の最初の本格的試みとなっている
それだけに発表の場を与えられたことは幸いであった
みすず書房さんには改めて感謝したい
刊行予定日などの詳細は決まっていないが、これから折に触れて紹介していく予定である
『パリ心景』とあわせて、よろしくお願いしたい
3)月初めからシェリングの『学問論』を読み始めた
事の始まりは、偶然目に入ってきた「国家は哲学に対しては無制限の自由のみを与える義務がある」という帯の言葉であった
これまでシェリングが意識に上ることはなかったが、わたしの中にあるものと近い主張が展開されていることを発見
また、これまでできるだけ使わないようにしてきた「絶対的」という言葉に対するハードルを一気に下げてくれる効果があった
その中で、わたしにとって極めて重要な発見をした
シェリングは「絶対知」を、実在的なものと観念的なものが不可分な状態にある統一性と考えている
つまり、実在的なものが単独であっても不完全だが、そこに観念的なものが融合することにより完全な知になるというのである
ここで、実在的なものを科学が生み出し、観念的なものを哲学が生み出すと考えれば、シェリングの言う「絶対知」に至る過程は、わたしが言うところの「科学の形而上学化」――科学的発見を哲学的に見直す試み――とほぼ完全に重なるのである
想像もしていなかったことだが、わたしの試みは「絶対知」(シェリングの)を目指す歩みだったのである
勿論、これがシェリング哲学の正しい解釈だとすればではあるのだが、
『学問論』に関しては、次第に議論がイメージできなくなってきたので、少しお休みにすることにした
いずれも最後まで読んだ形跡がない
『学問論』を読んだ後には『自由の本質』にもすんなり入っていけそうだし、ブルーノに関しては「医学のあゆみ」のエッセイでも取り上げている
医学のあゆみ 245 (6): 541-545, 2013
これから少し付き合ってみてもよいのではないか
そんな気にさせてくれる想定外の出会いとなった
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