2022年5月10日火曜日

シェリング『学問論』第5講を読む(つづき)




























「さまざまな学問からの非難」について

哲学が国家や教会にとって危険であるという声が出始めて以来、学者の方も哲学に反対の声を挙げるようになった

しかし、ある学問が哲学と対立するとすれば、それは学問ではないだろう

あらゆる学問は哲学によって一つになっているのである

学問に対する尊敬を注ぎ込むのに、哲学を徹底的に研究する以上に相応しいものはないのである

哲学で真理の理念に到達した人が、他の分野で根拠なくバラバラになっているものから、もっと深く、もっと根拠づけられた、もっと密接に連関し合ったものを求めるようになれば、その学問にとっても有益なことになる

如何なる学問を究める場合でも、哲学から真理の理念を受け取っていなければならない

実際、わたし自身、哲学の影響によって自然科学のあらゆる分野に対する熱意が、より広範に蘇ってきたのである

哲学は、包括的なもの、普遍的なものへと向かおうとする

しかし、哲学によって掻き立てられた包括的、普遍的なものへの衝動に釣り合うだけの豊かな古典の教養がなければ、学問は均衡を失い倒壊してしまうだろう


「哲学は流行に属するものだとする非難」について

哲学が青年に及ぼす害悪について語る人たちは、哲学を手にしていたか、いなかったかのいずれかである

後者の場合、一体どうしてそのようなことが言えるのか

前者の場合、哲学が効用を持たないことを洞察するという効用――それはソクラテス以来のものであるのだが――は知っているはずだが、なぜそのことを言わないのか

彼らが自分たちの忠告に何の効果もないことが分かると、こう言い始める

哲学は流行に属するもので長続きせず、新しいものが現れては過ぎ去っていくものである

哲学の見かけ上の変化は、無知なる人々にのみ存在し、哲学には何の関係もない

哲学と自称しているものに哲学の欠片もないことがある

それをはっきりさせるために、哲学は研究されなければならないのである


あるいは、見かけ上の変化が哲学に関係することもある

この場合、哲学の本質は古代ギリシアから変わっていないが、哲学の形に変様があることになる

このようなことが起こるとすれば、哲学が未だ究極的、絶対的な形態をまだ獲得していないことを意味している

新しい哲学とは新しい形式を持ったものでなければならない

哲学者に固有な優れた点は、それぞれが等しく独創的であり得るということである

絶対的形式を獲得するためには、精神はあらゆる事柄において自分自身を試さなければならない

哲学が流行に属すると中傷する人は、それほど真剣に考えているわけではないことがあり、安易に哲学と和解する

流行には追随したがらないが、流行遅れにもなりなくないので、最新の哲学から何かを掴み取り、自分の身を飾ることも厭わないのである








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