今日は第5講「哲学の研究に対して通常なされる非難について」を読みたい
前講を引き受ける形で、次の5つの非難を迎え撃っている
「哲学は国家にとって危険であるという非難」「通俗的な悟性の立場からの非難」「功利主義の立場からの非難」「さまざまな学問からの非難」「哲学は流行に属するものだとする非難」
では早速、始めたい
「哲学は国家にとって危険であるという非難」について
この非難は広く行き渡っているが、それを取り上げることにしたのは、これまでの反論が適切ではなかったからである
哲学は自分自身の内的根拠にのみ従うもので、国家や宗教のような人間が造ったものには煩わされないのである
そのような哲学の何が国家にとって危険なのか、何が哲学から出てきたのかを問えば答えは明瞭である
「通俗的な悟性の立場からの非難」について
学問のうちの一つの方向性は国家に対して有害であり、もう一つの方向性は破滅的である
第一の方向性は、通俗的な知が絶対的な知に背伸びしようとしたり、絶対的な知を判定する地位になる場合である
もしこの傾向を国家が助長する場合、通俗的悟性は自らが理解できない国家の上に立つことになるだろう
ここで言う通俗的悟性とは次のようなものである
粗雑でまったく無教養な悟性であり、偽りの皮相な文化によって空っぽな理屈をこねる教養に至った悟性である
通俗的悟性は俗っぽい根拠で国家の根本形式に攻撃を仕掛けることがある
教養主義を自称しているこのあり方は、哲学と正反対のところにある
理屈をこねる悟性を理性の上に引き上げて悲惨なことになったのは、フランスで見たところである
だからと言って、哲学は法の維持にとって危険であるというようなことは馬鹿げている
フランスではあらゆる学問において理屈をこねる人たちが哲学者の名を奪い取ってきた
一方、我が国では真の哲学者であれば、そのような人に哲学者の名を許すことはないだろう
通俗的悟性を祭り上げてしまうと、学問に衆愚政治を引き入れ、やがて学問以外のところにも粗野な人間の台頭を引き起こすことになる
「功利主義の立場からの非難」について
第2の破滅的な方向性は有用なものだけを目指すことで、それはやがて国家体制にも当て嵌まることとなる
しかし、これほど移ろいやすいものはない
なぜなら、今有用なものが明日にはそうでなくなる可能性があるからだ
この傾向が拡大していけば、国民の中にあるすべての偉大なものや活力は窒息させられることになる
国家も個人も私利私欲に走ることになり、個人と国家を結びつきは危ういものになる
真の絆は、無制約的なもののみを意志するがゆえに自由であるような、神的なものでなくではならない
哲学がある国民を偉大にすることがあり得るとしたら、それは全く理念のうちにあるものだろう
ドイツでは古い国民的性格はすでに解体しているが、それを呼び覚ますことができるのは内的絆だけであり、宗教や哲学だけである
偉大なる使命に召されておらず、小さくて平穏なだけの小民族には、偉大な動機も必要とされない
こうした民族にとっては、ただ飲食に事欠かぬこと、産業に専念することができればそれで十分である
政府が功利的精神に親しむようになると、芸術や学問に対しても功利的精神だけを追求するよう指示することとなる
このような国では哲学は何の役にも立たず、諸侯たちも一般民衆と同じようになろうとし、国王もその地位を恥じ、単に市民の筆頭であろうとする
哲学も崇高な領域から卑俗なところへと落ちることは間違いない
粗野な人間さえ著述を始め、どんな平民でも裁判官の地位に上るようになって以来、高貴と低劣との区別がつかなくなっている
この潮流に歯止めをかけられるのは、哲学である
哲学の本性を表す格言はこの一句である
私は下劣なる愚民を憎み遠ざける(ホラティウス)
◉「さまざまな学問からの非難」と「哲学は流行に属するものだとする非難」については、明日以降に取り上げたい
0 件のコメント:
コメントを投稿