2022年5月24日火曜日

シェリング『学問論』のこれまでを振り返る(2)


























今日も発見があることを願いながら、リキャップを始めたい


第3講「大学における研究の最初の前提について」

本講では、学問を職業とする者の一般的要件について語る

研究には、歴史的側面芸術的側面がある

前者は必要になるものを只管学習することが求められる

後者は形式の側面があり、訓練を通してのみ我がものとすることができる

「自分自身で創造するためにのみ学ぶ」のである


認識には根拠の認識を担う理性的認識と、単なる事実を学ぶ歴史的認識がある

「口過ぎの学問」は生活に役立つためのもので、根拠は完全に無視される

この場合、普遍の中で特殊を捉えられていないので真に体得できず、進歩するということがない

真の進歩は絶対的原理から評価しなければならないからである


大学以前においては、機械的に知識を習得する以外にない

真の意味で絶対性には至らない年齢の人に絶対性による知を与えるのは賢明ではない

それぞれの学習段階に留まることが重要なのである


語学学習はその後のあらゆる学問形成にとって必要不可欠である

若年期に古代言語を学習することは、機知や洞察力や着想力を訓練するために欠かせない

近代教育学は暗記教育に反対するという立場から古代言語の学習に異議を唱えている

しかし、偉大な人物は記憶の容量と活力なしには在り得ない

そのような人物ではなく、勤勉で有用な市民的人間の養成を近代教育学は目指していたのである


言語知識は、生き生きとした直観の中で芸術や学問の歴史を描写する文献学の手段に留まる

文献学者は哲学者や芸術家とともに最高位を占め、大学では文献学のみを教えるべきなのである



第4講「純粋な理性学である数学と哲学一般の研究について」

根源知は全ての学問の源であると同時に帰着する終極であり、そこから諸分野に命を吹き込まなければならない

普遍知に対する特殊知は、絶対的認識でも無制約に真なる認識でもない

知はそもそも限定された知なので、依存的で常に変化し、多様で異なっている

ただ、知の本質はすべてのもので同一なので限定されることはない

特殊知に対する普遍知は、特殊知から抽象されたものである

真に絶対的な認識の究極の根拠と可能性は、普遍特殊が一になっていなければならない

これが絶対者の理念である


根源知の他に依拠するものを持たない学問が、哲学である

哲学と数学は、普遍と特殊が絶対的同一性に基づいている

ただ、数学は反省的直観を用いるが、哲学が行う直観は理性直観(知的直観)で、根源知と同じである

哲学は事物の永遠の原像についての学問であり、知的直観なしに哲学はあり得ない

哲学的直観を持つためには、一切の有限な認識が空虚であることを洞察していることが条件となる

これは、日常世界(地上生活)における有限なるものの認識を離れる必要があるということなのか

もしそうだとすれば、これまでの天空での生活は哲学的直観を持つための最良のトレーニングだったとことになる


哲学の効用について語ることは、哲学の品位を汚すものである

哲学は有用性とは関係なく、それ自身のためだけに存在する

これが崩されると、哲学の本質も崩壊することになる

この点にも深く同意せざるを得ない






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