2022年12月15日木曜日

コリングウッドによる自然(63): 現代の自然観(5)ベルクソン(2)





これら3つの二元論はそれぞれが万華鏡のようにベルクソン(1859-1941)の哲学になるが、我々の議論のために重要になるのは、物質と生命という宇宙論的二元論である

すでに見たように、生命とはまず何よりも人間の精神を生み出す力であり過程である

それに対する物質とは、それを操作するために精神が現実を考える1つのやり方であるが、この現実は生命そのものである

生命と物質はいかなる意味においても対峙するものなので、生命は物質ではあり得ない

つまり、物質は行動のために有用で必要な知性の産物であり、真なるものではない

従って、物質はベルクソンの宇宙論からは排除され、生命の過程とその産物だけから成る世界が残されたのである

この過程が「創造的進化」とされるものである

作用因なるものは、物質の架空の世界に属するとされて、この過程から追放される

作用因に従って動くものは、単に引っ張られたり押されたりしているだけだが、生命はそこに内在する「エラン・ヴィタル」に従い、それ自身で動くのである

同時に目的因も追放される

なぜなら、目的因の場合、終わりが前もって決められており、その過程の創造性や自発性が否定されるからである

ベルクソンは目的論を逆さまになったメカニズムだと言った

世界の過程は、壮大な即興演奏である

生命の力は、いかなる目的もゴールもその外の導きの光も内なる導きの原理もない

それは、内在する性質が流れることであり、どんな方向にもいつまでも推し進める単なる力である

物質的なものはこの宇宙的な運動の前提ではなく、その産物である

自然の法則はその過程を導く法則ではなく、一時的に採用する輪郭に過ぎない

延長から成る感覚器により感受可能な(perceptible)世界と、その振舞を支配している変わることのない理解可能(intelligible)な法則という古い区別

つまり、古代ギリシアの感受可能な世界と精神による理解が可能な世界との区別が、両者とも進化という過程に組み込まれることにより否定されたのである

進化の過程は、変化するものと、その変化のやはり変化する法則を一度に生み出すのである






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