2022年12月26日月曜日

コリングウッドによる自然(71): 現代の自然観(13)新しい物質論(2)


























原子価の電子論において、ベルクソン(1859-1941)がまだ本当だと想定している古い物質論が、物質とは本質的に過程であり、生命のようなものだとする新しい理論に道を譲っているのが見える

しかしこの新しい理論は、生気論物活論、あるいは有機体における生命に関わる過程と原子における物理的過程を混同することには譲歩しない

非常に重要な2つの過程の類似性が発見された時、両者の違いが忘れられることはなかった

新しい物質論の刺激を受け、ホワイトヘッド(1861-1947)のような哲学者が現実の全体は有機体であると宣言し、サミュエル・アレクサンダー(1859-1938)のような哲学者が時間を精神として記述し、その空間は身体であるとする時、自然を生きたものとして捉える古代ギリシアの古い見方に先祖返りするとして彼らを非難するのは誤解になるだろう

彼らは、ベルクソンがやりたかったであろう生物学に物理学を混ぜ合わせたのではなく、近代史で初めて物質界と生命界の際限のない違いではなく、根源的な類似性を明らかにした物理学の新しい見方を歓迎しているのである


ここで、衝撃と引力の間の二元論について考え、最近の物理学がどのようにこの問題を扱っているのかを問うてみよう

ニュートン(1642-1727)にとっての唯一の希望は、真の引力の否定と引力を衝撃に還元することであった

しかし、最近の物理学の新規性は、その反対の方向に向かい、衝撃を真の原因とすることを否定し、引力と反発力の特別なケースに還元するという事実によって印象的に示された

新しい物質論によれば、物質のいかなる粒子も他の粒子と接触しない

あらゆる粒子は、磁場とのアナロジーで考えられた力の場に囲まれている

1つの物体が他の物体を跳ね返す時、それは物体同士の衝撃によるのではなく、磁石の針が反発し合うように、両者の反発によるのである










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