2022年12月1日木曜日

コリングウッドによる自然(52): ヘーゲル(7)



























ヘーゲル(1770-1831)が自然の過程を指示する概念や形相をどう考えるのかは、プラトン(427 BC-347 BC)があらゆる形相を考えたやり方と平行している

例えば、プラトンは理想的な国家の概念は、いかなる現実の国家でも実現されないとしている

なぜなら、人間の精神はその概念を完璧に実現することができないからである

形相が人間精神にはできないことを課しているのである

しかし、ヘーゲルはなぜ、自然の形相がこのような奇妙な特徴を持つと考えなければならなかったのだろうか

答えるためには、我々は形相と観念、形相と精神を分けている特異性を問わなければならない

ヘーゲルの回答は、自然は本質的に外部の実在、外的世界だというものである

ここで言う外部とは、我々にとっての外部ではない

自然は我々にとって外部にあるものではない

我々の体の外にあるものではない

逆に、我々の体は自然の部分なのである

また自然は、我々の精神の外にあるものでもない

なぜなら、両者が空間に位置するのでなければ、一方が他方の外に位置することはあり得ないからである

体ではない我々の精神は空間には存在しない

自然を外的世界と呼ぶことが意味することは、それが外部性に特徴付けられた世界、すべてが他のすべての外に在る世界だということである

つまり、自然はものがそれぞれの外に在る世界である

これには2つの形がある

1つは、すべてのものが他のすべてのものの外に在る、すなわち空間

もう1つは、一つのものがそれ自身の外に在る、すなわち時間

一つのものが時間の中でそれ自身の外に在るというのは、その概念を実現するのが時間の中に広がっているということである

例えば、拡張し収縮するのが心臓の性質である

この2つの過程は論理ではなく自然の過程なので、一方からもう一つの相に移行するのは時間の中である

それぞれを虫食い状に行うのである









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