ここで再び、ヘーゲル(1770-1831)の自然哲学(Naturphilosophie)の不完全さ、すなわち論理的基盤における解消されていない矛盾を見る
彼は何をやっていたのか
自然科学者が実際にやり、信じていたことを哲学的に説明しようとしていたのか
つまり、彼の自然哲学は自然科学者が知っていることをどのように知ることになったのかという問いに答える試みなのか
あるいは、自然科学者がすでに成し遂げた結果の後ろに回り、伝統的な自然科学の方法ではなく、彼自身の哲学的方法で異なる結果を得ようとしていたのか
彼はこの両方をやったことで非難された
その都度、他のことをやるべきだったという理由で
確かに、彼は両方をやっていた
まず、同時代の自然科学を暫定的に受け入れることにより始めたのだが、その状態に満足できず、彼が考えるあるべき科学の姿に改良しようとした
そのことで彼は正当とは言えない厳しい批判に晒されたのである
それは科学が出したものを「科学的」すなわち侵すべからざるものとして放っておけばよいところを、それらを受け入れず批判したためであった
ヘーゲルは、同時代の科学と彼自身の方法で得た結果との統合、機械としての自然と過程が浸透している自然という概念の統合を何とか齎そうとしていた
統合が必要だと彼が考えたことは間違っていなかった
ただ、彼が辿り着いた統合が正しかったと言っているのではない
わたしが言っているのは、彼は急いでおり、自然科学は都合の良い時に自分のやり方で解決しなければならないということを見ず、自然科学の問題を哲学で解決しようとしたということである
彼は、科学の将来の発展でしかないようなことも哲学で先取りしようとした
そして、彼の予想は多くの点で驚く程正確であったことが分かる
しかし、科学的思考には先取りの場所はない
科学的思考は科学が成し遂げた結果を尊重するだけなのである
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これでヘーゲルのセクションを終えたことになる
なぜか分からないが、非常に長く感じた
と同時に、科学と哲学との関係に悩み、奮闘していた姿も垣間見ることができた
その意味では、これまで殆ど関係ないと思っていた一人の哲学者が、近くに寄ってきたように感じられる
それはカント(1724-1804)についても言えるだろう
これから先は、よりは身近な現代的テーマが現れることを期待したい
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