ある点では、蕾から葉への過程と自然から精神への過程の対応関係は不完全である
蕾から葉への過程は自然の中で起こるので、時間の中でのことである
それに対して自然から精神への移行は自然の中でのことではないので、時間の外にあり、イデアの世界のもの、あるいは論理的なものである
ヘーゲル(1770-1831)によれば、全ての自然が精神に変わってしまえば、時間はなくなる
逆に、自然が精神に変わることがなかった時はなかったのである
精神は常に自然から成長するし、これまでもしてきた
ヘーゲルの宇宙論が今日出回っている多くのものと明確に異なっているところに我々は導かれる
それは時間の意味に関係することである
現代の宇宙論は一般的に進化の概念に基づいている
一つの種の発展は時間の中での発展として見るだけではなく、自然からの精神の発展も時間の中での発展として見るのである
この種の見方はヘーゲルの時代にも徹底的に議論されていたが、彼はそれについて考えた末にそれを捨てたのである
全ての実在は層構造をしていると、ヘーゲルは言う
それは、低い感覚の層と高い知性の層がある精神についても、無機的で生命のない層と有機的で生きている層がある自然についても当て嵌まる
自然においては、生きているものと死んでいるものが相互に浸透することなく、それぞれの外に別物として存在しなければならない
自然においては、時間的な移行はなく、論理的な移行だけが存在する
それでは、なぜヘーゲルはこの立場を採ったのだろうか
それは、彼の時代の物理学によって考えられている純粋に死んでいる機械的な物質の世界は、物質を空間の中で再配置することしかできないのだが、それをやっても生命を生み出すことはできないと考えたからである
死せるものとは質的に異なる生きるものの中で作動している新しい組織化の原理がある筈である
物理学者が死せるものの概念に満足している限り、進化の理論を受け入れることができないのである
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