ここでもまた、物質の根本的な概念が大きく変化していることが明らかになる
古い考えでは、1個の物質はそれがそれであるものである
そのため、永遠に変わらない性質を持っているので、様々な機会に様々に振る舞う
1つの物体が衝撃あるいは引きつける際に力を及ぼすのは、それ自身の中にある質量を持っているためである
しかし今では、物体に属するエネルギーがその振舞を説明するだけではなく、各物体の質量や延長をも説明する
1立方インチの鉄がその大きさであるのは、鉄を構成する原子の引力と斥力の平衡によるが、鉄の原子はそれを構成する電子の引力と斥力のリズミカルなパターンによっている
従って、化学的特性だけではなく、物理的、量的性質さえも活動の関数として考えられているのである
ここで再び、化学だけではなく、物理学の基礎的な領域においても、物質と精神・生命との新しい類似性が現れた
物質は、存在が運動と独立し、運動に先立つ領域にあるものとして精神や生命と対比されるものではないのである
このような意味を科学的にトレーニングされた哲学者によって明確に認識されていたことを示すために、初期の数学者、物理学者としてのキャリアが哲学者として仕事で見事に継続されているホワイトヘッド(1861-1947)の『自然と生命』の一節を引用してみよう
古い見方は変化を取り出して、ある瞬間の自然の全実在を考えることを可能にする。ニュートン(1642-1727)の見方によれば、そこで省かれたものは近接する瞬間における空間内での物質の分布の変化であった。しかしそのような変化は、ある瞬間における宇宙の本質的実在とは無関係なものとされたのである。移動は偶然であり、本質的ではなかった。同様に本質的なのは、持久であった。・・・現代的な見方では、過程や活動や変化は事実の本質なのである。ある瞬間には何も存在しない。各瞬間は事実を集める方法に過ぎない。従って、単純な根本的範疇とされる瞬間はないので、ある瞬間には自然は存在しないことになる。
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