2022年12月13日火曜日

コリングウッドによる自然(61): 現代の自然観(3)生命という概念(3)

































物質とも精神とも違うものとしての生命という概念が確立されるまでに抵抗がなかったわけではない

それは当然のことだが、デカルト(1596-1650)の実体二元論の遺産から来ている

生命は伝統的に物質の領域に組み込まれているので、生物学的事実を物理学の概念で説明しようという衝動に駆られる

この敵の牙城は、以下のような理論であった

特異的な形の変異は、受精卵において父親と母親の細胞が混ぜ合わせられるという全くの偶然により、あるものはその環境で生きることができるが、他のものはそうはいかないという具合に、いろいろな種類の子孫を生み出す

この理論に基づき、唯物論的遺伝学の立派な構造が生まれたのである

わたしが唯物論的というのは、それが生理的機能をすべて物理化学的構造として説明しようとしているからである

未だ活発なその論争に、今は入ることはできない

なぜなら、この論争は生物学の領域に属するもので、わたしが論じている哲学的問題に影響を及ぼすのは、その論争から離れた含意だけだからである

哲学に基づけば、機械的あるいは化学的とは異なるものとしての生命の過程という概念は定着するところまで来ており、我々の自然の概念に大変革を齎したと言うのは、正当であるとわたしは考えている

多くの著名な生物学者が未だそれを受容していないということは、驚くに当たらない

同様に、16世紀宇宙論の新しい豊穣の要素としてわたしが記載した反アリストテレス物理学は、同時代の著名な科学者により拒絶された

役に立たない衒学者だけではなく、知の向上に重要な寄与をしたような人たちにも受け入れられなかったのである









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