現代物理学は、困難なことはあるにせよ、これらの問題を除くために少なくとも何かはやってきた
最後の問題を最初に持ってくるとすれば、化学と物理学との論争は電子理論によって落ち着いた
この理論によれば、原子は究極の粒子ではなく電子の集合なので、一揃えの化学的特徴を持つ原子は、一つの電子をそこから蹴り出すことにより、別の特徴を持つ原子になる
従って我々は、一つの物理的単位である電子に戻る
また、原子の単なる量的側面(原子の重さ)に依存するのではなく、原子を構成する電子のパターンに依存する化学的性質という新しい概念を手に入れるのである
このパターンは静的ではなく動的で、常に一定の律動で変化している
これは丁度、音響学においてピタゴラス学派が発見したリズミカルなパターンのようである
量と質を結ぶものとしてのリズミカルなパターンというこの考えは、現代の自然理論において重要である
それは単にそれまで別々にあった概念を結び付けるだけではなく、さらに重要なのは、時間の概念の新しい意義を明らかにしたからである
もし水素原子が水素の特徴を持つのは、一定数の電子を持ち一定の配列をしているからではなくなく、一定のリズミで運動しているからだとすれば、ある瞬間において原子はその特徴を全く持っていないことになる
リズミカルな運動ができるようになる時間の広がりの中でだけ、原子はその特徴を持つのである
もちろん、ある瞬間には存在せず、時間の広がりの中でだけ存在するものがあることは知られていた
運動が最も明白な例である
一瞬を取れば、動いている身体と静止している身体に違いはない
生命も同様である
生きている物体と死んでいる物体を分けるものは、生きている動物ではリズミカルな過程と変化が進行していることである
従って、生命は運動と同様、瞬間には存在せず、時間が掛かるものだということになる
アリストテレス(384 BC-322 BC)は、同じことが道徳的性質についても言えることを示した
例えば幸福だが、一生の間その人に属している場合にかぎりその人のものなので、心的状態を一瞬だけ見ても彼が幸福かどうかは分からない
それは丁度、写真を見てもその動物が生きているのか死んでいるのか分からないのと同じである
現代物理学の出現以前には、運動とは物体に起こる事故のようなもので、それによって物体の性質は変わらないと理解されていた
原子を運動する電子パターンとして捉えるこの新しい理論は、この理解を完全に変えてしまった
それだけではなく、時間が関与するという意味で、物質の化学的性質を精神の道徳的質あるいは有機体の生命に関する性質と類似のものとしたのである
それ以降、倫理学において人間が在ることと人間がすることを分けられず、生物学において有機体が存在することと有機体がすることを分けられないのと同様、物理学においても物質があることと物質がすることを分離できなくなったのである
これを分離することは、古典物理学の礎石であった
それは、運動を外から物体に加えられたものと捉え、物質界の写真がその全性質を明かにすると信じる世界であった
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