通り過ぎてヘーゲルに行くところだったが、今日は振り返りの日であった
今月は次のようなことをやっていた
1)免疫に関する本の最終校正を終えた
この本はここ10年超の思索の跡を纏めたもので、わたしにとっても発見の多い内容となっている
研究者だけではなく、一般の方にも届くことを願っている
いつも感じることだが、一つの文章ができる奥には多くの仕事が眠っている
今回、それを示すためにかなりの資料(論文や著作)を巻末に添えることにした
そのため一見すると研究書のように見えるかもしれないが、必要を感じなければこれらの資料は放っておいていただいて構わない
ということで、今回の校正では資料の整理が大変であったが、何とか終えることができた
それから、この過程でもう一つ気付いたことがある
最初に資料に当たり一つひとつの部分を書くのだが、その時には全体が見えないため、どこまでをどのように記述すればよいのか分からないことがあった
しかし、全体を見渡すことができる校正の段階になると、その中でなぜか出来上がっている流れや知識のレベルに沿うような書き方が見えてくる
今回の校正も4サイクルほどやったが、繰り返しているうちに異質に感じた部分が全体に溶けこむようになる
そして、これ以上にはならないと思われるところが見えてくる
そこが校正の終わりである
あくまでも現段階においては、ということだが
この段階で大きな書き直しはしないということは、今年ゲーテから教わったことである
この原則があったので、さらに考えを広げたりしようとせず、今あるものをより明確にすることに迷わず集中することができた
大きな書き直しは、これから先の仕事になると考えればよいのである
ということで、今はゲラが届くまでの待ち時間になっている
2)今月もコリングウッドを読んでいた
偶然から始めたコリングウッドではあるが、これまで触れることのなかった世界に誘ってもらっているという感じがしている
自分では読むことがなかっただろう人たちの考えが紹介されているので、これからの参考になる
ぼんやりとではあるが、世界が広がってきたように感じている
著者の思考の流れを追うように一文一文丁寧に読んできたことも、認識を広げる上で重要だったのではないだろうか
哲学的思考が行われている現場に立ち会っているような感覚もあった
流し読みではこうはならなかったであろう
この作業、もう少し続くことになる
3)久し振りに科学の会に参加した
パスツールの生誕200年を記念したシンポジウムに参加し、久し振りに科学者のお話に触れた
科学の世界の特徴が益々顕著になってきた
当然のことなのだろうが、科学者が哲学的な思考に入る余裕はなさそうだ
今のわたしには、科学の話がどうしても物足りないものにしか感じられなくなっている
やはり科学の先の話――科学の形而上学化と言ってもよい――が必要になるという感覚だろうか
その後、退職した科学者と旧交を温める機会があったが、そこに出てくる話はわたしにもよく通じるものであった
やはり、現在定義されている科学から距離をとれるようにならなければ哲学には向かわないのかもしれない
それとは別に、次第に深くなるわたしの底における日常から浮かび上がることの大切さを、先月に続き再確認する機会となった
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