2022年11月4日金曜日

コリングウッドによる自然(36): ルネサンス期の自然観(12)































ライプニッツ(1646-1716)の宇宙論は、スピノザ(1632-1677)のものに似ていないことはないので、結局同じ難問に上に崩壊する

ライプニッツにとっても、実在は延長と思惟を持つ物理的でもあり、精神的でもある

それはモナドから成り、それを取り巻く世界を理解する精神でもある

物質のあらゆる一片が精神を持つという逆説は、程度の低い精神を考えることで解消される

その精神は我々のものよりずっと原始的で未発達で、意識の閾値よりずっと下にある瞬間的な閃きによる知覚や意志なのである

スピノザとライプニッツの大きな違いは、ライプニッツが目的因を改めて肯定したことである

彼は、目的がなければ発展には意味がないと考えていたが、同時に原始的な精神の場合には目的に無意識であることもある

このように、ライプニッツの自然は巨大な有機体で、その部分は生命と成長と努力によって浸透されているさらに小さな有機体である

これは、一方の端の全くのメカニズムから精神生活の最高の発展へと連続的に繋がる階梯を構成し、そこを上昇しようとする止むことのないドライブを伴っているのである

ここにも彼の理論の利点があるのだが、実在の精神と物質の関係が理解できないのである

なぜなら、スピノザ同様、ライプニッツは有機体の物質としての生命、すなわち自然の物理的過程は、純粋に物理法則に従わなければならず、精神としての生命は精神の法則だけで説明されなければならないと考えていたからである

彼は、精神と物質の出来事には予定調和があり、それはモナドの中のモナドである神の命により予め決められているのだ、という以外の答えを持ち合わせていなかったのである










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