2022年11月26日土曜日

コリングウッドによる自然(48): ヘーゲル(3)




ヘーゲル(1770-1831)が一括して観念(the Idea)と呼ぶこのダイナミックな形相の世界は、自然の直接的創造者であり、自然を介して精神の源泉になるものである

従って、ヘーゲルは自身が言うところのバークリー(1685-1753)やカント(1724-1804)の「主観的観念論」を排除する

この考えによれば、精神は自然の創造者あるいは自然の前提として存在しているからである

つまり、ヘーゲルはこの考えを逆転させ、精神の源泉としての自然を唯物論的に見ることを好んだのである

彼には、この考えの唯一の間違いが自然を絶対的で自己創造的で自明なものにしたこととして映った

しかし実のところ、彼はプラトン(427 BC-347 BC)やアリストテレス(384 BC-322 BC)のように「主観的観念論」は、自然を創造され、何かに由来し、何か他のものに依存しているとしている点で、正しいと考えていた

ただ、その何かが彼にとっては精神ではなく、観念であったということである

ヘーゲルは、次の点でプラトンに完全に同意する

それは、観念を、精神の状態、精神の活動、あるいは精神の創造という主観的なものではなく、自らを満たし自立した存在の世界――それは精神の適切な対象となるものである――として見ることである

これをヘーゲルは、カントの「主観的観念論」に対して「客観的観念論」あるいは「絶対的観念論」と呼んだのである

なぜなら観念を、それ自体で実在するもの、それを考えている精神には全く依存しないものとして捉えていたからである











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