昨日の朝はトンボがよく飛んでいた
何匹も家の中に迷い込んできて、気持ちよさそうに日向ぼっこをしていた
どこか弱々しい感じは拭えなかったのだが、、
さて、久し振りのコリングウッド(1889-1943)である
今日はスピノザ(1632-1677)について語るようだ
早速始めたい
彼らに共通する考えは、物質と精神は全くの別物で、両者はその源泉としての「神」から何らかのやり方で生じたものであるということであった
源泉としての「神」は、一方向において自然あるいは物質を創造し、他方向においては人間精神を創造するとした
デカルトは、単純な二実体説を提起したのではなかった
彼の実体とは、それ自身によって存在するものなので、厳密に言えば「神」しか存在しないことになる
スピノザはこの制限を重く受け止め、唯一の実体が神で、それ以外の実体はないのだとすれば、精神も物質も神によって創造された実体ではないと主張
精神と物質は、1つの実体の2つの属性に過ぎないとし、彼はこの実体を「神」とも自然とも呼んだのである
それは、延長としては物質世界、思惟としては精神世界であるような無限で不変の全体である
両方の部分に、有限で変化し滅ぶべきところを含み、その変化は他の部分が働く作用因による
これにより、物活論の痕跡を消している
しかし、延長と思惟という2つの属性が強引に結合させられているため失敗した、とコリングウッドは見ている
それは、延長を持つものがなぜ思惟すべきなのか、同様にその逆についても理由が存在しないからである
0 件のコメント:
コメントを投稿