今日もニュートン(1642-1727)である
ニュートンは、若干ではあるが新エピクロス派に負うところがあった
彼らに従い、全ての物体は空虚な空間に取り囲まれる微細な粒子からなっていると捉えていた
そして、微粒子の静止と運動は2つの力により決定されているとした
一つは固有力(vis insita)あるいはガリレオ(1564-1642)に由来する慣性(vis inertiæ)で、静止しているか直線状を一様に動く
もう一つは外力(vis impressa)で、加速度運動を引き起こす
この中に2種以上あることをニュートンは認めていた
一つは重力あるいは重さで、もう一つは電気であった
ニュートンは定義に付された注解(Scholium)において、「外界の何ものにも関係なくそれ自身で均一に流れる」絶対時間と、「運動によってはかられる」相対時間を区別している
また、「常に同じ形状を保ち不変不動である」絶対空間と、「我々の感覚によって物体に対する相対的な位置により決定される」相対空間を区別している
さらに彼は、絶対運動と相対運動を、上記2つの場合と同様に、無批判に区別している
これらの無批判な区別が彼の全研究の基礎を成しており、その区別が注視された途端に、その区別がなくなるのである
同様に、『自然哲学の数学的諸原理』に付せられた「一般的注解(Scholium Generale)」において、デカルト(1596-1650)の渦動理論を打破している
ニュートンは、なぜすべての遊星が太陽の周囲を同じ方向に回転するのか、なぜ遊星の軌道が相互に衝突しないようになっているのかを、彼自身の原理によっては説明できないので、「太陽系の壮麗極まりない構造は、知的存在によって以外には生じ得なかった」として、自らの方法の限界を神の存在証明へと高めている
そして、最後の一節で、デカルトの普遍数学のプログラムを実行してこなかったことを弁明するかのように、除外してきたいくつかの点に注意を喚起している
この中でニュートンは、記載した現象はまったく同一の最も微細な精気(spiritus subtilissimus)によるとしている
例えば、外部感覚器から頭脳へ、頭脳から筋肉へ神経線維に沿ってこの精気が振動することによって動物の体は動かされると言ったりしている
その根拠をニュートンは持っているのかとコリングウッド(1889-1943)は問う
ニュートンは27歳で教授となった
43歳で『自然哲学の数学的諸原理』を公刊
54歳から85歳までは造幣局長官と晩年には閑居した
62歳の時、彼が解こうとした光の問題を『光学』として発表したが、内容には不満であった
微細な精気(spiritus subtilissimus)との決戦に敗れたのである
コリングウッドの結論は、宇宙論の根本問題についての慎重さを欠いた受け売りの思惟が、ニュートンを破滅に導いたのだ、という手厳しいものであった
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