アリストテレス(384 BC-322 BC)を去る前に、彼の物質概念について一言残しておきたい
しかし、それは非常に難しいことである
なぜなら、『形而上学』の用語辞典においても何の説明もないからである
神あるいは精神は思惟するものであろうと、永遠なる対象である形相としても物質を含まない
感性は物質の中に具体化された形相だけを感覚するので、アリストテレスの物質概念なるものを期待できない
現代科学が物質論と呼ぶ原子、電子、放射能などは、構造や律動運動の類型を記述したものである
従って、ギリシア的に言えば、これらは形相についての理論ではあるが、物質の理論ではない
アリストテレスにとっての物質は無規定なもので、しばしば可能態(デュナミス)と同一視される
『形而上学』には、物質を次のように否定的に定義しているところがある(1029a20-)
物質(質料)という言葉でわたしが意味するものは、存在を決定する質とか量とかその他の属性を何一つその内に含まないものである
自然においてはすべてが常に発展しつつあり、可能態であったものが現実態(エネルゲイア)へと生成している
物質とは、可能態の無規定性に他ならないのである
可能態にあるものは、形相に向かう衝動が存在する
しかし、それを妨げる何らかの力も存在している
これこそ、アリストテレスの物質なのである
つまり物質とは、いまだ実現していない可能態のことを意味している
物質が完全に消失するのは、形相が実現し、可能態が現実態の中に解消するときだけである
そのため、純粋な現実態は全く物質を含まないのである
ところで、神であり得るが神でないものは存在しない
神は純粋な現実態であり、物質を全く含まないのである
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アリストテレスによれば、エネルゲイアに在る時には物質がなくなっているという
エネルゲイアの状態を感じることが多くなっている日常だが、それは物質が消え、精神だけになっているということなのか
あるいは、精神だけにならなければエネルゲイアには至らないということなのか
そう考えるとよく理解できる
それは形相が実現している状態である
あるいはまた、神に近づいている状態と言えるのだろうか
いずれにせよ、そこで感じているのは永遠である
それは純粋な形相の世界と言えるのかもしれない
想像だにしなかった何とも恐るべき展開である
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