2022年10月1日土曜日

新垣勉を聴く、あるいはガダマーの「対話すること」
























昨夜は俳人の古い友人のお誘いで、新垣勉(1952- )さんのコンサートに出かけた

お名前は存じ上げていたが、演奏を聴くのは初めてであった

新型コロナの影響で3年ほど活動できなかったのは想像を超える苦しみで、自殺も考えるほどだったという

今度のパンデミックの深い傷跡を見る思いであった

久し振りのコンサートのためか、最初は調子が出ていないように見えたが、次第に良くなってきた

音響に若干の問題があるように感じたが、、


プログラムにはイタリアなどの外国の歌の他に、日本の歌曲も盛り込まれていた

自分でも想像していなかったが、なぜか「お菓子と娘」が非常によく心に沁み込んできた

幼い時の記憶が刺激されたこともあるのだろうが、フランスを経験した後なので、歌に溢れるフランスへの思い入れの強さを感じ取ることができたせいかもしれない


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作詞:西條八十(1892-1970)
作曲:橋本國彦(1904-1949)

お菓子の好きな 巴里娘
二人揃へば いそいそと
角の菓子屋へ「ボンジュール」

選る間もおそし エクレール
腰もかけずに むしゃむしゃと
喰べて口拭く 巴里娘

残る半は 手に持って
行くは竝木か 公園か
空は五月の みづあさぎ

人が見ようと 笑はうと
小唄まじりで 齧り行く
ラマチーヌの 銅像の
肩で燕の 宙がえり

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残念ながら、Youtubeに新垣さんのものを見つけることができなかった







歌の合間の語りにあった素朴な言葉の中には、思索を刺激するものがあった

例えば、言葉が重要であるということ

ロシアとウクライナの戦争はどうして防ぐことができなかったのか

言葉のやり取りがうまく行っていなかったのではないか

これはわたしの観察だが、対話が成立しなくなっているのはロシアとウクライナの間に限ったことではないだろう

我々の日常でも定常的に経験している

この機会に、以前に書いた「医学のあゆみ」のエッセイを読み直してみるのもよいだろう



それから、沖縄出身の新垣さんが長らく「君が代」を歌うことができなかったというお話

その心の内を真に理解することは至難の業である

わたしにできることは、そのような感情が確かにそこにあるということを心に留めておくことくらいだろうか


今日のピアノは臼田奎介さん、ハンドフルートを森光弘さんが担当

お二人はCHILDHOODというユニットで活動されている











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