2022年7月13日水曜日

ゲーテの言葉から(21)































昨日、『パリ心景』についての感想にあった「楽しそうな語り口」という言葉がどこかに残っていたのだろう

今朝目覚める時、それ以前にいただいた「心や思考がダイナミックに躍動している」という感想と繋がった

もしそういうものがあったとすればであるが、別の人がそれを見て「楽しそう」だと思ったのではないか

そこにある実態は一つだが、それをどう見るのかは人によって異なってくる

という、ありふれたことになるのだが、第三者の言葉は多くのことを教えてくれる


さて、今日もゲーテ(1749-1832)である

まず、霊魂の不滅についての考えが開陳される

これは『パリ心景』でも触れたテーマである

彼の考えを聞いてみたい


1829.2.4(水)

ヘーゲル(1770-1831)と同じように、彼(クリスティアン・フリードリヒ・ダニエル・シューバルト、1739-1791)もキリスト教を哲学の領域へ引きずりこもうとしているが、そんなことをやってみたところで毒にも薬にもならないよ。キリスト教は、それ自体強力なものであり、むしろ時には落ちぶれたり、悩んだりする人類は、いつも、キリスト教によってみずからを立ち直らせてきた。キリスト教にこうした働きのあることを認める以上、それはあらゆる哲学を超越したものであり、哲学の力を借りる必要など毛頭ないわけだ。同様に、哲学者の方も、ある種の説、たとえば霊魂不滅説のようなものを証明するために、宗教の名声に頼る必要などないのだ。人間は、不死を信じていいのであり、人間は、そうする権利をもっているし、それが、人間の本性にかなっているのであり、宗教の約束するものを期待していいのだよ。だが、哲学者がわれわれの霊魂の不滅を、伝説を用いて証明しようとしたら、それはじつに説得力がとぼしく、たいして意味のないことになる。私にとっては、われわれの霊魂不滅の信念は、活動という概念から生まれてくるのだ。なぜなら、私が人生の終焉まで休むことなく活動して、私の精神が現在の生存の形式ではもはや持ちこたえられない時には、自然はかならず私に別の生存の形式を与えてくれる筈だからね」


それから嬉しいことに、17世紀オランダの画家オスターデ(1610-1685)について語っているではないか

もう13年前になるが、この画家を発見した時の悦びが蘇ってきた

この記事にあるいくつかの絵をご覧いただきたい

兎に角、素晴らしいのである

ゲーテはこんなことを言っている

「それは、感性に訴えてくる魅力だ。いかなる芸術も、この感性的魅力を欠くわけにはいかないが、この種の題材では、それが充溢している。これと反対に、芸術家がいっそう高い目標を描こうとして観念的なものに入っていくと、十分な感性をかねそなえることが難しくて、無味乾燥になりやすいのだ」


(山下肇訳)








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