ルイ・ガレ(1810-1887)『芸術と自由』
専門家とアマチュアの間の垣根を取り除こうという姿勢を持っていたことが分かり、最後まで見ることにした
山本の考えはさらに進んでいて、アマチュアを学問を発展させる上で貴重な存在だという積極的な意味で捉えていた
そして実際、天文学における重要な発見や貢献をした人を育てている
天文学ということで言えば、オーギュスト・コント(1798-1857)も17年に亘りパリの区役所で毎日曜日、講座を開いていたことを思い出す
生涯アマチュア、生涯学生がモットーになっているわたしにとっても、示唆に富む番組であった
暫く、余韻を味わってからアトリエに向かった
今日もゲーテ(1749-1832)である
1829.12.6(日)
「年をとると、若いことろは違ったふうに世の中のことを考えるようになるものだ。そこで私は、デーモンというものは、人間をからかったり馬鹿にしたりするために、誰もが努力目標にするほど魅力に富んでいてしかも誰にも到達できないほど偉大な人物を時たま作ってみせるのだ、という風に考えざるをえないのだよ。こうして、デーモンは、思想も行為も同じように完璧なラファエロ(1483-1520)をつくりあげた。少数のすぐれた後継者たちが彼に接近はしたが、彼に追いついた者は一人もなかった。同様に、音楽における到達不可能なものとして、モーツァルト(1756-1791)をつくりあげた。文学においては、シェークスピア(1564-1616)がそれだ。君はシェークスピアには反対するかもしれないと思うが、私はただ天分について、偉大な生得の天性について、言っているのだよ。ナポレオン(1769-1821)も到達不可能な存在だ。ロシア人が分を心得てコンスタンティノープルまで侵入しなかったことは、たしかに偉大だが、こういう特性はナポレオンにもあるのさ。彼もおのれの分を守って、ローマまではいかなかったのだからね」
1829.12.16(水)
「要するに、メフィストーフェレスがホムンクルスよりも不利な立場にあることに、君は気がつくだろう。つまり千里眼的な精神力という点では、同じだが、美しいものや何ごとかを促進するような活動への傾向ということになると、ホムンクルスの方が、はるかにうわ手だ。それにしてもホムンクルスは、彼のことを叔父さんと呼んでいる。そのわけは、ホムンクルスのような霊的な存在は、完全に人間化していても、まだまだふさぎこんだり偏狭固陋になったりはしていないので、デーモンの中に数えられてもいいのだ。その点で、両者には、一種の親類関係があるのだな」
1829.12.20(日)
「そういう人たちがなみはずれた仕事をやるのは、まさにその繊細な体質あってのことなのだよ。そのおかげで、稀有の感受性にもめぐまれるし、天の声も聞きとれるわけだ。ところでそういう体質は、世間や自然とのあいだにもつれをおこすと、簡単にかき乱されたり、傷つけられやすいから、ヴォルテール(1694-1778)みたいに、偉大な感受性と異常なねばり強さとをあわせ持っていないと、しょっちゅう病におかされてしまうことになる。シラー(1759-1805)も、病気ばかりしていたね。はじめて彼と知り合ったとき、この男は一月ともつまいと思ったよ。けれども、彼にも一種のねばり強さがあって、それからなお何年も持ちこたえたし、もっと健康な生活を送っていたなら、まだまだ生きのびただろう」
「芸術家が今も昔もやっていることは、自分自身がそれを作ったときに持っていた気分の中へわれわれを浸すことだ。芸術家の自由な気分は、われわれを自由にする。その反対に、不安な気分であれば、われわれを不安にする。芸術家のこのような自由というのは、ふつう彼が自分の仕事を十分に発展させ得たところに生れるもので、だから、オランダ派の絵画は、見ていて気持ちがよいわけだが、それはあの画家たちが自家薬籠中のものにしている身近な生活を描いているからに他ならないのさ」
(山下肇訳)
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